top of page

福岡めぐみ教会

日本同盟基督教団

「それを繰り返してください」


​聖書:ハバクク書 3:2

ホサンナ日本語礼拝部の礼拝堂の垂れ幕に「日本にもキリストの季節(時)が訪れますように」と書いてあります。日本のリバイバルを願う祈りの文です。そのような意味で、皆さんと共に本日のみことばからリバイバルについて考えたいと思います。

ハバクク書で預言者は神様に二つの質問をします。

その一番目の質問が1章2~3節にあります。ハバククは、神様の選民である南ユダで行われている不法、悪行、堕落、偶像崇拝を見て嘆き、神様はこのような南ユダの不義の現実を見ておられるのか、なぜ沈黙なさるのか、神様の義はどこにあるのか、と反抗するように質問します。

すると、神様は、5〜6節で、悪を行うユダを戒める事を約束なさいます。神様は、バビロン帝国をさばきの道具として南ユダの罪悪を戒める、と言われます。預言者ハバククが活動していた当時、国際情勢は、バビロンが新しい帝国として浮上している状況でした。バビロンは、北イスラエルを滅亡させたアッシリアを滅亡させました。バビロンは、世界的に大きな脅威である国でした。

その話を聞くと、預言者ハバククは1章13節で、神様に2回目の質問をします。義の神様がなぜ選民の南ユダのさばきをもっと悪く無慈悲であるバビロン帝国に任せたのか、という質問です。すると、神様は2章2〜4節で、どのような人が正しい人であるか教えてくださいました。神様がおっしゃる正しい人はこのような人です。「しかし、正しい人はその信仰によって生きる」。神様から見た時、人は国籍によって正しいと判断されるものではありせんでした。選民であるからと言って、正しい人なのではありませんでした。正しい人とは、義の神様を信じる信仰によって生きる者なのです。 神様のこのような教えは、この後、新約時代にイエス・キリストに対する信仰を説明するものとして、使徒パウロがよく用いたみことばです。

神様は、バビロンが南ユダの戒めの道具になったものの結局さばきの対象にならざるを得ない理由を、話されます。バビロン帝国の貪欲、不当に得た利益、血を流した事、富貴(ふうき)、隣人を罪悪にまみれさせた事、偶像崇拝、がさばきの理由でした。彼らのすべての行動には義の神様を信じる信仰というものがありませんでした。

選民である南ユダも、異邦人であるバビロンもどちらも天秤で比べても負けないくらい悪を行っていますが、ただただ、神様の憐れみの故に、神様ご自身の民への戒めと、異邦人の国に対するさばきが、明らかに違うのが本日のみことばからわかります。

神様は、ご自身の民を戒めますが、それは、罪悪から離れさせるためでした。しかし、バビロンは完全にさばかれました。

実際の歴史を見てみますと、バビロンを通して70年間戒めを受けたイスラエルの民は、神様だけを仰ぎ見る信仰を持つことになります。と言うのは、彼らはその時から唯一神信仰をもつようになりました。一般的な宗教論からすると、唯一神信仰から多神教になるのは、よくあることです。神の数が多ければ多いほど文明が発展したと考えられるからです。そのような理由で、多くの文明は唯一神信仰から多神教(宗教多元主義)へと変わっていきます。

しかし、バビロンを通して戒めを受けて70年後に故郷の地に戻って来たユダヤ人たちは、歴史的に類を見ない唯一神信仰を持つ民族になりました。しかし、道具として使われたバビロンは、歴史の中から消え去りました。

南ユダは、バビロンを通しての戒めにより一度は死んだかのようでしたが、それは永遠の死ではなく、再び生かされることが約束されていました。そのような意味でハバククは、怒りのうちに見えるあわれみと愛の働きの約束をいただいたのです。

預言者ハバククは、神様の時に主の民たちを救われるという驚くべき事実を悟り、賛美します。神様への疑いと絶望の心で投げかけた質問は神様の義とあわれみを信じる信仰へと変わりました。ご自分の民への大きな救いの計画を持っておられる神様の御心を知った預言者の心は熱くなりました。

3章1節に「シグヨノテ」と書いてあります。これは、「情熱的な詩歌(しいか)」という意味のヘブライ語です。早いリズムと情熱的な感情の変化を誘導する、音楽の形態の一つです。それほどまでに、預言者ハバククが、強い感情と緊迫感を持って神様に賛美をささげているのがわかります。預言者の気持ちを覚えながら、本日のみことばをもう一をお読みいたします。

[ハバクク書 3:2]主よ、私はあなたのうわさを聞きました。主よ、あなたのみわざを恐れています。この数年のうちに、それを繰り返してください。この数年のうちに、それを示してください。激しい怒りのうちにも、あわれみを忘れないでください。

3:2本文にある「うわさ」とは、すなわち、このような神様のご計画であり、みことば。すわなち、南ユダへの戒めとバビロンのさばきを意味します。預言者は「この数年のうちに、それを繰り返してください。」と言います。「繰り返してください」この部分のヘブライ語は、「 חַיֵּ֔יהוּ 」です。この単語の意味は、「生かす」です。死んだものと変わり無いものを再び生かす、ということを言います。英語では、この部分を「リバイバル」と解釈しています。韓国語は、「復興」としています。

ヘブライ語の意味ですと、リバイバルの核心は、量的な成長ではなく聖霊により生まれ変わることであり、罪により死んでいたたましいが聖霊により生まれ変わることです。「リバイバル」は「よみがえり」に近いことがわかります。

私たちがよく祈る「リバイバルを起こしてください」とは「よみがえらせてください」という意味になるのですね。そのような意味で、日本と韓国の真のリバイバル、御霊によるよみがえりを、願い期待いたします。

みことばを通してリバイバルの意味を知り、南ユダの状況を考えた時、神様は日本の教会を励ましておれると感じました。

日本には「やおよろずのかみ(八百万の神々)」と言うことばがあるほど、多くの神がいます。宗教学から見ますと日本は多神教の国です。ですから、日本で唯一神、聖書の神(創造主、救い主、私たちと共におられる神)を伝道することはとても難しいことです。本当にそうです。私たちはしばらくここに留まって帰りますが、皆さんはここでその大変な闘いを続けられます。

本日のみことばはその闘いの只中にいる日本教会と日本教会を応援する韓国教会に励ましと希望を与えるものです。

いつも偶像礼拝を繰り返すイスラエルの民が神様だけを信じることは不可能に見えました。しかし、よみがえらせてくださる神様の力によって不可能なことは可能になりました。それを証しするのが今のユダヤ人たちがもっている唯一神信仰です。

今回のチームの中には日本の方がおられます。日本の方々のために用意し、証しをしていただきました。その証しの中には、唯一の神様への信仰が現れています。よき力、御霊によってリバイバルされた者のいきいきとした告白があります。その告白が皆さんと私たちの励ましとなることを確信します。

皆さん、いつも神様の関心はバビロンなどにあるのではなく、ご自分を仰ぎ見る正しい人々にあります。

ここに集められた私たちは、ただただ神様の恵みとあわれみによって生かされ、主イエスキリストの十字架の贖いによって正しいと言われた者たちです。私たちの目も神様以外ではなく、神様にのみ目を、心を、賛美を、たましいを向けましょう。

日本の真のリバイバルを願い、これからこの群れに起こる神様のみわざに期待してまいりましょう。


閲覧数:9回0件のコメント

最新記事

すべて表示

本日は「交わり」について学びます。交わりの反対は孤独(大事な意味での孤独もありますね)です。近頃は「ぼっち」(ひとりぼっちの略)とも言われます。「ぼっち」は、2010年以降から使われ始め、すっかり定着しているようですね。たとえば、「クリぼっち」と言えば「クリスマスはひとりぼっちで過ごす」の意味になります。あるいは「ぼっちめし」「ぼっちキャンプ」などぼっちが接頭辞になることもあります。さらに、この「

(※今朝は時事ニュースから入ることをお許しください) 先月、伝統芸能の歌舞伎で著名な家庭で親子心中がありました。いよいよそれを実行するときには「次の世界へ行こう」と相談をして親子心中を図ったと伝えられています。家族で話し合い、思い詰め、ある意味追い込まれ、心中死を選ぶことしかできませんでした。いかに名を立て、都内に豪邸と言われる住まいがあり、仕事に困ることはなかったとしても、それらがその親子に世を

先週は、神がすべてのものをお造りになった創造主であること、その他のものはすべて被造物であり、私たちがまことの神のみを礼拝することを学びました。なぜなら、神以外の被造物は必ず私たちを失望させるからだ、という理由も見ました。私たちは被造物であるかぎり、霊的にも身体的にも、どこかからエネルギーをもらわないといけません。エネルギーの補給活動(チャージ)が必要です。もし、その供給源が自分であれば、常に自分は

bottom of page