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「ただまっすぐに」


聖書 詩篇117:1-2

すべての民族に

今日の礼拝は韓国ビジョン教会の短期宣教チームをお迎えしています。顔ぶれ、賛美、証しによって豊かさを味わう礼拝をともにできますこと感謝します。週報コラムにも記しましたが、ここは世界宣教の現場です。教会はもっともローカルで、もっともグローバルな共同体です。ローカルな部分を考えると、福岡めぐみ教会は福岡市西区拾六町にあり、となりに座っている人たちがいます。グローバルな部分を考えると、福岡めぐみ教会には現在4組の宣教師がおられ、本日はビジョン教会から短期宣教チームが来てくださっています。この地域から一歩も外に出なくても、海外の方と会い、顔を見たり、会話をしたりすることができるのは本当に驚くべきことであり、当たり前ではありません。それは教会がローカルであり、グローバルであるしるしです。


なぜそんなことが実現しているかというと、私たちが同じ主を礼拝する者であり、主が世界で唯一お一人であるからです。もし、私たちが違う神々を拝んでいたら、今朝のこの時間は訪れていません。お互いに肩を寄せることも、同じ賛美をすることもありません。顔を見ても声を交わすことはなく、知り合うこともありませんでした。私たちが同じ主を礼拝するのは、主がただお一人だからです。神とは「ほかに神はいない」と宣言する圧倒的な方であり、すべてにおいて完全な方です。

神は存在、性質、知恵、力、愛のすべての面において完全です。これらのうち一つでも欠けや不足があれば完全ではなく、神でもありません。たとえば、ものすごく力はあるけれども愛に欠けていたらそれは不完全で恐ろしい存在です。あるいは、義においては完全だけれど忍耐がなければ止められないプレス機械のようです。神が完全であることは、私たちをここで一つに集めている大きな理由です。


今朝ごいっしょに見る詩篇117篇は詩篇の中でもっとも短く、聖書の中でもっとも短い章です。ここから神の完全さを味わい、ともに賛美し、礼拝したいと願います。


一日が終わるとき、何を思うでしょうか。楽しかった事、新しくチャレンジしたこと、心身の疲労、運動や貯金の目標が達成できたなど・・・それぞれあるかと思います。


神が私たちに何を求めているのかというと、それは「主をほめたたえること」です。この一日にどれだけ主をほめたたえただろう?と自問すると、驚くほど少ないのかもしれません。ユダヤ人は祈りのときに18の感謝を数えてささげるそうです。それが朝、昼、晩と3度あるので一日で54の感謝をささげます。しかもそれが毎日ですから一年で19,710になります!一年に約2万回。一般的に言語習得には3千語が基礎になると言われます。

本気で一度に18の感謝、一日に54の感謝をささげたら二か月で3千の感謝を主にささげられます。さらに その言語を不自由なく使えるようになるには2万語が必要となるそうです。その国に生まれて20歳まで過ごすと2~3万語の語彙がインプットされます。私たちが一度に18の感謝、それを一日、一週間と積み重ねると一年後には神に感謝することがごくごく自然になっています。神に感謝するネイティブクリスチャンの誕生です。


これらを聞いて驚かなければならないのは、私にはそんなに感謝することがないということではなく、私はそんなに感謝する機会を持たなかったのかということです。主に感謝し、主をほめたたえることは、私たちを内側から強め、あらゆる環境や状況に置かれても悪の力や必要以上の落胆、心配の沼から守ってくれます。主はすべての国々、すべての国民の主です。主の力の届かない領域はどこにもありません。「国民」(117:1)は部族とも訳される語ですから、国、国民、部族、そして各家庭において神さまがほめたたえられていますか?という、私たちへの問いかけです。個人の生活も大切ですが、主への賛美は自己完結するものではありません。そこから家庭や友人、隣人関係の中で主へのほめ歌が広がっていく様子がここに表されています。ぜひ、主の前で一日を振り返り、感謝を数え上げましょう。すると家族や友人、隣人はあなたの態度や言葉の変化に気づくはずです。主への感謝は隣人に伝染します。


2. 恵みとまこと

しかし、主はただ単に私たちが事務的に感謝することを要求されません。私たちが口先だけで良いことばを発しても、心の内側に同じ思いがなければただの出まかせです。しかし、私たちが確固たる理由をもってほめたたえるなら、主は喜んで感謝や賛美を受けられます。口先だけでは絶対に気持ちは伝わらないし、長続きしません。この点で私は夫婦の会話においてよく失敗します。どうしてもオチのない話を面白く聞けないし、妻に全面的に寄り添って共感することが上手ではありません。今は、妻がそのことも笑って済ませてくれるようになりました。


「主の恵みは私たちに大きい。主のまことはとこしえまで」(117:2)。ここは私たちが主に感謝する理由が2つ記されています。1つ目の「恵み(ヘブル語:ヘセド)」は契約に基づいて接するという意味です。先週も「聖書は契約の書物」というポイントを学びました。契約とは状況が変わっても、何年経っても、結んだ約束は変わらず実行されるものです。私たちが賛美する神は、契約に基づいて私たちを祝福してくださいます。実はこの節の語順(原語)は「大きい」がはじめに来ています。恵みの大きさに私たちが気づくような配置です。「大きい」は他では「勢いを増す」(第一歴代誌5:2)、「圧倒」(哀歌1:16)と訳されます。ただ大小というより、すべてにまさり、すべてを圧倒するという描写になっています。



あなたが何かをしたら成立するという条件付きの契約は恐れや競争心、敗北感を与えるだけです。しかし主が結んでくださるのは「大きな恵み」です。主の恵みは不完全な私たちから決して取り去ることがないほど大きいのです。他人や自分に完全を求めてイライラする私たちと何と違うことでしょう!


2つ目の理由である「まこと(ヘブル語:エメト)」は真実(the truth)と訳されます。どこか一部でもいつわりやかげりがあれば「真実」とは言いません。主は真実そのものだ、というみことばは、私たちの人生が不調に陥ったとき力を発揮します。たとえば病やけがをしたとき何を思うでしょうか。「昨日あの人に悪いことをしたからかな」、「お手伝いをサボった罰かな」と考えたことはないでしょうか。主は真実な方です。気分で意地悪をしたり、因果応報に従って報いることをなさいません。幸せと感じることは状況や出来事に左右されます。幸せの原因が取り除かれたら、幸福な状態も逃げていきます。しかし感謝と賛美は、痛みや不安のうちにあってもかき消されません。なぜなら主は真実な方なので、私たちとの関係を正しく持ち続けてくださっているからです。神が祝福の契約を破棄されず、真実を貫いて私たちと接してくださっています。心配の沼にはまって身動き取れずもがくのか、主の恵みとまことの中で過ごすのか。私たちは主のご性質に頼る道を選びましょう。



3. とこしえまで

「とこしえまで」は一時的な感情の起伏や情勢の変化をもろともしない宣言です。主のまことは、昔も今もこれからも決して廃れることがありません。消費社会、流行、手っ取り早さや利便性に慣れきっている私たちにとって、とこしえまで変わらないものがあることを知るのはもはや奇跡です。古代ローマでは「絶えず咳に苦しめられている人のように感謝を意識せよ」と教えたそうです。咳が続くと肺が苦しくなり、そのうち腹筋やあばら骨にも痛みを感じるようになります。治まったと思ったらまた出たり、ようやく眠りについたところで咳込んで寝つけず苦しいことも経験します。そうして咳は生活全体を支配してきます。現代はスマホが支配しているかもしれません。とこしえまで主をたたえるなら、主に、私たちの人生を支配していただけます。それは何より良いことです。


実はこの詩篇、「ハレル(ほめたたえよ)」で始まり、「ハレルヤ」で終わる美しい構造になっています(原語)。主をほめたたえることに始まり、主を賛美することで終わる。それこそ神が私たちに求めている唯一のことだと言わんばかりです。ローカルでもグローバルでもクリスチャンは主にハレルヤと叫ぶのが共通点です。私たちは理想や居心地や人間関係によってではなく、主をほめたたえることで一致する教会です。一致とは同質の人の集合によってではなく、同じ主を仰ぐことで実現するものです。

同じ主を賛美する取り組みの一つに、この春から礼拝で手話賛美を取り入れ、今は日本語、英語、韓国語、手話で賛美をしています。手話のできる兄弟姉妹をこの教会に集めてくださり、手話ゴスペルハウスで手話を学ぶ集いが起こされ、礼拝でともに手話賛美ができるように導かれていることを感謝します。初めての方は多くの方が手話をする光景に少し圧倒されるかもしれませんが、ご無理のないようにしてください。手話は言葉の本質をよく考え、味わい、手や指を動かして表現する言語です。一つずつ手話言語を覚えながら、賛美の豊かさ、楽しさ、力強さ、喜びをともにしましょう。


「つぶやきの多い私たちですが、主に感謝する新しい人を着て今日から歩み始めましょう。できない自分、してこなかった自分を主に明け渡し、聖霊の住まいとしていただきましょう。自己満足ではなく、神にふさわしい賛美をささげましょう。福岡めぐみ教会、ビジョン教会に聖霊の風が吹き、この宣教協力によって福音が前進しますように。」


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