◆先週、私たちと同じ教団の土浦めぐみ教会よりメンバーが来られ、篠栗霊園にて墓前礼拝をささげてきました。ある兄弟の両親がそこに納骨されており、当時の司式は入江牧師とのこと。今回はその兄弟の父母の召天10年、28年を覚えての会でした。まだ未来クリスチャンである親族への伝道、証しの機会として設定されました。健康状態や都合により親族の参加はかないませんでしたが、今回のため証しの文書を作成し、それを尋ねて手渡ししたそうです。その兄弟によると、今回両親をはじめ家系図をたどり、またそれぞれにどのような関りがあったのかをたどっていくと、宣教師との関りやクリスチャンとの出会いがあり、それが基となり、自分にも信仰が伝えられたこと、救いの素地になっていたことが分かったそうです。
◆私たちにも、それぞれ信仰のルーツがあることでしょう。自分自身が教会に行くようになったきっかけ、信仰をもつきっかけがあるかと思いますが、なぜそのような思いになったのか、どうしてあのとき聖書を手に取ったのか、誰のおかげで教会に行ったのかなどなど・・・それらをよく思い返してみると、思わぬ恵み、主の導きがあったことを知ることになるかもしれません。家族や親族、友人や知人の存在とその彼らのルーツまでできることなら調べてみてください。
◆私自身は、両親がクリスチャン。父は牧師家庭に生まれましたが、母は伝統的な日本人家族。それが実家のとなりに教会が引っ越してきて通うきっかけとなりました。父も親元を離れて大学生活をおう歌しようとしたところ、先輩クリスチャンから礼拝に行きましょうと勢いよく誘われ、断れずに教会の礼拝に出席したのが自覚的な信仰の始まりとなったそうです。牧師であった祖父は結核などを通して入信、祖母は海辺に張られたテントでの伝道で関心を持ち、その後英語教室を通してその母とともに受洗したそうです。そんなことを思うと、主は生きておられると賛美する他なくなります。
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