聖書 ルカ1:26-38
1. 託した神
今年のアドベントからクリスマスへのテーマは「偉大な方」です。私たちはあいさつで「クリスマスおめでとうございます」と言いますが、実はクリスマスの起源は神から私たちへ「おめでとう!」と言われたことにあります。私たちは互いにプレゼントを贈り合いますが、実はクリスマスの起源は神から私たちへプレゼントを贈ってくださったことにあります。私たちはクリスマスにツリーやイルミネーションで飾りますが、実はクリスマスの起源は神がこの世を照らす光として来られたことにあります。今朝は主イエスの母となるマリアに起こった出来事です。ここからしっかり「おめでとう」の意味を味わいましょう。
神は御使いを通してマリアのもとへと訪れました。そして何の前置きもなく「おめでとう、恵まれた方」と告げます。世間話やご機嫌うかがいなどせずに、まっすぐ本題に入ります。ここだけ見ても、聖書にはムダのないことが分かりますね。私たちの救いについて必要なことだけがしかも足りないところなく十分に記されています。マリアはひどく戸惑い、考え込みました。何の応答もないので、そのまま読み進めてしまいそうですが、ちょっと自分の身に起こったこととして想像してみてください。突然、誰かがそばに立っていたらびっくりしませんか?それがおじさんであっても、お姉さんであっても腰が抜けるほど驚くかもしれません。しかし、このときは御使いですからおそらく見たこともないまばゆさに動揺したのは間違いありません。ルカ1章でもっと年上の祭司であるザカリヤに同じ御使いガブリエルが現れたとき「ザカリヤは取り乱し、恐怖に襲われた」(1:12)とあります。それが少女であるマリアであったら、動揺も恐怖も100倍感じたとしても不思議ではありません。そんな御使いとの遭遇に際し、マリアはひどく戸惑いつつも、考え込みました。「お父さん、お母さん、大変!」「だれか助けて、変な人が」とパニックになりませんでした。
しかも、マリアは「このことばに・・・これはいったい何のあいさつか」というので戸惑い、考え込みました。御使いが何を言ったのか、しっかり聞いていた証拠です。その場の尋常ではない雰囲気、光り輝く御使いの姿に恐れを感じたのではなく、御使いが告げた内容を聞き取っていたことに驚かされます。考えてみると、もしマリアがパニックになり泣きわめいて逃亡していたら、その後のメッセージを御使いは伝えられませんでした。私たちも、それぞれの状況だけにとらわれず(最近は抜け出せない状況を「沼)」と言うそうです)、混乱や突然の噴出する課題の中で神が語られるメッセージを聞き取る冷静さ、時間、姿勢を持ちたいと願います。
御使いは続けて「恐れることはありません、マリア・・・あなたは身ごもって、男の子を産みます」と言いました。神はクリスマスを迎えるマリアにプレゼントを贈りません。神がマリアへ贈ったのは使命です。一時的に喜んでもそのうち嬉しさを忘れるモノではなく、マリアの生涯を決定づける使命を与えました。それは、あなたにも同ことを神は願っておられます。神は、あなたが神などいなくても平気で過ごせる一時幸せを感じる品物よりも、神がともにおられるという、生涯続く祝福を与えたいと願っておられます。マリアが「おめでとう」と言われたのは、主がマリアとともにおられるからです。それは幾多の困難や理解できないような展開があるのですが(実際これからすぐにマリアの身に起こる)、神がともにおられることが確定した人生です。この祝福を、クリスマスはもたらします。
2. 受けたマリア
マリアには、主がともにおられる生涯がプレゼントされましたが、その内容を見ましょう。これからマリアは身ごもり、その赤ちゃんは特別で、いと高き方の子、ダビデの王位を継ぎ、永遠に支配する者になると明かされます。このとき、マリアはヨセフと婚約しており、当時の慣習では女性の結婚適齢期は12-14歳だったそうです。女性は身体的に成長したら、学校や仕事よりも、早く結婚して子を産むことが求められた時代でした。ちなみに男性は13歳で成人式を行います。そしていきなり結婚前に身ごもることが告げられるので、幼いマリアが受胎告知をいかに受け止めたのか、という点にまず注目するかもしれませんが、今朝はその前にもう1つ見たいのです。
それは、神がこの使命をマリアに託したことです。婚約中でまだ幼いマリアにとって、この告知を受け入れるのはリスクでしたが、神はそれ以上のリスクを取っておられます。神が御使いを送って、マリアに知らせました。もしこの時マリアが逃げてしまったり、聞いたけれど絶対に受け入れない!と意地を張って断っていたら、神の権威は地におちてしまいます。神はマリアに知らせたけど、結局聞いてもらえなかったとなれば、神の評判に傷がついてしまいます。神がそんなことも見通せないとしたら、全知全能とは名ばかりで、人間と何ら変わらないと馬鹿にされるでしょう。そして、計画は振り出しに戻り、次の人を探すことから始めないといけません。つまり、神はマリアが逃げたら終わりのリスクを取っておられるのです。それでもあえて、神はマリアにお告げになりました。
神は、なぜリスクを冒してまで一人の少女マリアを選ばれたのでしょうか。それは人の応答をこよなく期待し、 待っておられるからですね。なんでもおできになる全知全能の神は、ご自身が失敗しないために、マリアをロボットか悟りを開いた人のようにすぐに従うようにはされませんでした。マリアはひどく戸惑い、考え、恐れたのです。そうすることを許容されました。それは、マリアが自分で神のことばを聞き、悩み、考え、従うことを選び取るのを大事にされたからです。そうしないと、マリアはその後の人生ずっと神を恨んだかもしれません。
しかし、自分で選んだからこそ、マリアは神のせいにも人のせいにもせず、自分の人生を嫌いにならず、実に十字架を目の前にしても主イエスのことばに聞き続けました。
しかも、神がマリアに託すのは植木鉢ではありません。ご自身のひとり子である神の御子です。世の救い主となる方です。マリアがそんな使命を押し付けられたと育児放棄なんかしていたら、全人類の救いの道が閉ざされることになります。それでも、神はマリアが聞いて応答することを待ち、保険として同時に3人の女性に話してキープしておこうともされませんでした。
私たちは、家族や友人知人に福音を伝えるとき、イエス・キリストを紹介し、おすすめはしますが、信仰を押し付けようとしているのではありません。このことは、子どもたちも中高生たちも覚えておいてほしいのです。もちろんススっと信じてほしいけれども、大いに悩むこともありです。戸惑ったり、時に反抗することもありです。無理に押し付けると、その信仰は育たないからです。どうぜ親から押し付けられた信仰だから・・・と自分で大事にすることをしなくなるからです。今、迷っている方、悩んでいる方、戸惑っている方はぜひその時間を大事にされてください。そして、自分はこの神の招きに対していかなる応答をするのかを、ご自身で考え、選択してください。確信があれば飛び込み、もし足がすくんでいたら後ろではなく前へ逃げてください。
3. 決定打
マリアの応答を見ましょう。34節では「どうしてそのようなことが起こるのでしょう」と言いましたが、今朝の結びの38節では「どうぞ、あなたのおことばどおり、この身になりますように」とすべてを主に任せる決断をしています。その決定打となったのは何でしょうか。
御使いは、初めに「主があなたとともにおられます」とあいさつをして内容を告げたあと、「神にとって不可能なことはありません」と結んでいます。どちらも言い切り型の宣言でありです。実は最後の「神にとって不可能はことはない」は、直訳すると「神においては、すべてのことばは不可能ではない」です。ここも「神のことば」が鍵になっています。マリアを突き動かしたのは、まぎれもなく神のことばでした。彼女がことさら勉強したり、用意ができていたり、人よりも勇気があったわけではありません。
私が妻と結婚したとき、一人暮らしをしていた妻のアパートの荷物を神学校に運ぶ作業をしたときのことです。もう一人男性が手伝いに来てくれていて、大きな物を運んでいました。その中で電子ピアノがありました。それは冷蔵庫や洗濯機よりも重く、部屋の端にあったためどのように動かすか私とその男性で思案していたところ、ピアノがスススーっと動き始めたのです。見ると、妻が腰を使って押し出していました。私たちは何かの決断をするとき、古いものがどかされなければなりません。
ここでマリアを動かしたのは、聖霊が働かれたからでした。聖霊がマリアの悩み、迷い、恐れを押し出し、そこに「主がともにおられる」「神に不可能なことばはない」信仰が宿りました。そして、「おことばどおり、この身になりますように」とマリアは徹底して神のことばを聞き、神のことばについて思いめぐらし、神のことばを受け止め、神のことばどおりに生涯が用いられるように願いました。
このあと、マリアはヨセフや親族、周囲にその理由を言わなければなりません。「私は、神によって身ごもったの。ねえ、信じて」それは冷ややかに見られるときもあったでしょう。身体や体調も変化し、辛いと感じることもあったはずです。しかし、マリアは自分は主のはしためとして生きることを決めました。みなに好かれること、理解されること、変な感じに思われないこと、面倒な会話をしなくても済むこと、クリスチャンって言わなくても平和であることよりも、神のことばに生きることを選び取りました。
先週、救いとは何かを考えました。救われるとは単に死後天国に行くことだけではありません。主イエスを信じるならば、今から救われた人生が始まり、それをおう歌し、賛美するのです。人の目や常識、自分のプランを重視することと、神のことばに生きることではダイナミックさ、恵み、祝福が違います。神があなたとともにおられ、神の約束がかなう生涯を今から味わうこと。これ以上の幸いはありません。良きクリスマスをともに迎えましょう!
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