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「次の教会のすがた(3)」

執筆者の写真: 大塚 史明 牧師大塚 史明 牧師

◆前回は「教会=神に呼び出された者の集まり」だと見ました。これは礼拝にも表れていて、その召集者は「主なる神」であり、私たちは呼び出しの声を聞いて集められた者です。礼拝の招きの言葉でも朗読される詩篇には「まことに主は私たちの神。私たちはその牧場の民 その御手の羊」(詩篇95:7)、「知れ。主こそ神・・・私たちは主のもの 主の民 その牧場の羊」(詩100:3)とあるように、主は私たちを呼び出す羊飼い、私たちはその牧場で飼われる羊だと教えています。これはイエスさまも同様に言われていることで「わたしは良い牧者です・・・その羊たちはわたしの声に聞き従います」(ヨハネ10:11,16)として、主と私たちとを羊飼いと羊にたとえています。羊にとっての生命線は羊飼いの声です。それがなければ迷い出、助け出されることがなく、そのいのちを滅ぼしてしまいます。教会の召集者・主催者が主なる神であり、私たちはその声に応答し、聞き従う者。この関係を整理して、次のトピックに移ります。

◆では教会の「宣教」はどのようにしたらよいのでしょうか。「宣教」についてどんなイメージを持っているでしょうか。難しい・・・専門職の人がやればいい・・・私にはムリかも・・・どんなやり方が効果的か・・・と様々な考えや思いが去来するかもしれません。けれども、先程の羊飼いと羊に照らし合わせれば宣教のかたちが見えてきます。宣教とは「羊飼いなる主イエスの声を広めること」だからです。イエスさまはご自身の羊に呼びかけられます。その羊は、飼い主であるイエスさまの声を知っているので、その声を聞いたら応答します。私たちの声ではありません!その人を招いておられる神の声、神の言葉、イエスさまの愛、イエスさまのメッセージを伝えれば良いのです。そうすればおのずと、その声を聞いて導かれる人が起こされてきます。逆に、羊飼いの声を響かせなければ、羊はいっこうに集められることはありません。これが私たちの宣教の本質です。人間の知恵ではなく、十字架のことばを通してのみ、人は救われるからです。「恐れないで、語り続けなさい・・・この町には、わたしの民がたくさんいるのだから」(使徒18:9-10)

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