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「石の一生」


聖書 エペソ人への手紙2章20~22節

  エペソ書のテーマである「神と人との和解」。2章ではそのイメージを3つのことでたとえています。1つ目は「聖徒たちと同じ国の民=国民」(18節)であること、2つ目は「神の家族」(18節)であり、そして今朝は3つ目「神の御住まい=建物、宮」とされています。私たちが救われると、神の国の民となり、神の家族となり、そして神の住まわれる建物となるというのです。「神の国の民」「神の家族」は日頃人間社会、市民として生きている私たちにはわかりやすいイメージですが、あえて3番目に「建物」でたとえているのはなぜでしょうか。生きた人間のたとえから、建物=モノにたとえられています。新約聖書の時代、家は「石造り」でした。家の材料は木やモルタル、鉄板ではなく、石です。


 旧約聖書にも「家を建てる者たちが捨てた石 それが要の石となった」(詩篇122:18)とあり、新約聖書でも主イエスが引用されています(ルカ20:17、使徒ペテロとヨハネも引用 使徒4:11)。これは当時、家を造るなら石!と決まっていたことがわかります。イザヤ書にも「見よ、わたしはシオンに 一つの石を礎として据える。堅く据えられた礎の、尊い要石。これに信頼する者は慌てふためくことがない」(イザヤ28:16、他に参照:第一ペテロ2:6)と堅固な家を建てる上で、石が大切な役割を果たしている=欠かせないものであることは聖書全体を通じて語られているメッセージでもあります。それで今朝の説教タイトルは「石の一生」といたしました。主はキリストのからだなる教会を「建物」にたとえられました。そして、その建物を構成する石を、私たちに重ねてたとえ、教えておられます。主がその宮を建てるために用いられた石=主が教会を生かし、成長させるために用いられるあなたと結び合わせて今朝、みことばをともに聴いてまいりましょう。


Ⅰ. 建てられ(20節)

1. 土台

家造りで大切なのは「土台」です。土台なしに建物を建てることはありえません。もし、そうしたならば、すぐに崩れてしまいます。「砂の上に自分の家を建てた愚かな人」(マタイ7:26)と主イエスがたとえて警告しておられることが思い出されますね。今朝は教会が建物・宮にたとえられていますので、教会の土台は何かから始めています。20節「使徒たちや預言者たちという土台の上に建てられていて」。主イエスは「律法と預言者」(マタイ5:17)とか「律法と預言者全体が」(マタイ22:40)と言及され、これは旧約聖書全体を指すものとして考えられています。旧約聖書全体を「律法(モーセ五書)と預言者(大預言書、小預言書含む)」とくくることが多いですね。ただし、このエペソ書では「使徒たちと預言者たち」と律法と預言者ではなく使徒と預言者というコンビネーションになっています。また、この順番も注目したいと思います。第一コリント12章でも「神は教会の中に、第一に使徒たち、第二に預言者たち、第三に教師たち・・・」(第一コリント12:28)と述べていて、初代教会においては「使徒、預言者」という順序で教会の職務を記録しています。使徒は12使徒とパウロを指します。主イエスから直接任命された弟子のことで、もう増えることはありません。今は牧師や教師、宣教師と呼びますね。また、預言者は初代教会で使徒の時代の次にみことばの御用のために召された人たちを指したようです。


そして、この使徒たちと預言者たちが「土台」であるとはどういうことでしょうか?彼らの人物像や人格が土台と言っているでしょうか。彼らの直系の後継者(親族や家系、血筋をたどること)が土台であると言っているでしょうか。いずれも違いますね。このエペソでもパウロの家族や使徒たちの子孫が導いていたわけではありません。エペソ教会にはテモテが監督として遣わされました(第一テモテ1:3)。そこでは「果てしない作り話と系図に心を寄せたりしないように命じなさい」(第一テモテ1:4)とあるように、エペソ教会では「作り話と系図」に人々=クリスチャン!の心がなびいていたことがわかります。それゆえ、この「使徒たちと預言者たちが土台」とは「聖書による正しい教えこそが土台である」という意味だとわかります。主イエスも「わたしはこの岩の上に、わたしの教会を建てます」(マタイ16:18)と言われたときには、これはペテロという個人の上にではなく、ペテロが「あなたは生ける神の子キリストです」(マタイ16:16)という正しい信仰告白の上に教会を立てると宣言なさいました。もし、これがペテロ個人のことであれば「わたしはペテロの上にわたしの教会を建てます」と言われたはずです。しかし、原語でもちゃんと「ペテロス」「ペトラ」と使い分けておっしゃrっていますから、ペテロと岩とは別であることを主イエスは意図されています。「いいか、わたしの教会とはペテロという個人の上ではなく、ペテロが告白した「イエスこそ神の子です」という信仰告白という岩の上に建てるよ」と教えておられるからです。


そして、「使徒たちと預言者たち」はこのことをまさに告げ知らせ、教え続けてきました。使徒4:10-12 皆さんも、またイスラエルのすべての民も、知っていただきたい。この人が治ってあなたがたの前に立っているのは、あなたがたが十字架につけ、神が死者の中からよみがえらせたナザレ人イエス・キリストの名によることです。

:11 『あなたがた家を建てる者たちに捨てられた石、それが要の石となった』というのは、この方のことです。:12 この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人間に与えられていないからです。」


要の石は「イエス・キリストである」という教えこそ「土台」となっています。その上に、教会は建てられています。


2. 要の石

そして、すでに今見たように、建物を建てる上で重要なのは「土台と要の石」です。要の石は、建物全体を支え、建物全体の角度を決めるもっとも重要な石です。これがなければ、土台の上に建物を建てることができません。どんなものであっても要石がなければグラつき、倒れてしまうからです。すべてのものを支え、すべての位置、角度を決めるのはイエス・キリスト。この方以外にありません。私たちの教会は、牧師交代を経験いたしましたが、揺らぐことがないのは、このおかげです。人間関係の上に教会が建てられていない。誰かのキャラクターの上に教会が建てられていない。私たちが建てられ、安定し、一致しているのは「使徒たちと預言者たちによる聖書の教え=真理」を土台とし、イエス・キリストを要、中心とされている教会だからです。何度も土台を取り替えたり、要の石を取り替えたりなどしません。神は全能なるお方で、失敗なさいませんので、たった一度の歴史で、土台と要石を据えることのできるお方です。神はやり直しをなさいません。たとえ人間が罪を犯し、人間が偶像礼拝に走り、心くじけて神の神殿の建設を止めてしまっても、神は歴史を導き続け、必ずご自身の栄光を現されます。私たちも、やり直しのきかない人生を送っています。前世も来世もありません。たった一度きりの、あなたの人生をいただいて生きています。それならば、神の据えられた土台、神が与えられた要の石の上に人生を建て上げていきましょう。それは失敗に終わりません。なぜなら、土台が揺るがないからです。もう付け替えられることのない土台の上に人生をささげるからです。そして、要の石が永遠にあなたを支えてくださるからです。人生最大の、最良の、最善の決断。それは、聖書を土台として生きること。キリストを頼りにして生きること。あなたの人生の土台は、あなたをつなぎとめている要の石はどなたでしょうか?神は間違ったものにあなたを導くはずがありません。神は不確かな道に、あなたを誘うはずがありません。だから、この神の言葉を聞いたなら、全幅の信頼を寄せて、近づきましょう。


Ⅱ. 組み合わされ(21節)

1. ともに+つなぐ+選ばれる

今朝は、建物全体の話が展開されています。まだ土台と要の石しか見ていませんね! この上に建てられるとはどういうことでしょうか。土台だけでは建物は仕上がりません。壁や支えとなる柱、装飾品、天上や屋根・・・様々な要素が必要となります。これらは設計図がなければ取り掛かかることができません。教会という建物は神の知恵によって設計されています。ここで「組み合わされ」ているのは、建物全体を形成することになる「石」です。私たちはその「石」になりますね。この「組み合わされ」は実は3つの言葉をつなげて一つの語にしている特徴ある語です。その3つとは「ともに」「つなぐ」「選ぶ・抜き出す」という言葉です。これが合体して「組み合わされる」と訳されています。建物全体を造り上げるために、一つ一つの石を「ともに=いっしょに」組み合わせます。そして、一つ一つの石がバラバラにならないように「つなぎ」ます。さらに、どこに当てはめたら良いのか一つ一つの石の配置を考えて「選び出し」ます。そうやって、適材適所、一つ一つの石が配置され、つながれ、組み合わされて、建物全体が建てられていきます。しかも、これは受身形で「組み合わされ」となっていますから、石が自発的にその場所に飛んで入るのではありません。石を「ともに、つなぎ、選ぶ」お方がいるということです。それが「このキリストにあって」(21節)とことわりがなされている理由です。あなたを積み上げるのはキリストです。あなたの居場所を決めてくださるのはキリストです。あなたをつなぎとめてくださるのはキリストです。そして、あなたのことだけではなく、あなたの隣に○○さんが据えられているのは、キリストです。この教会を形成しているのは、すべてキリストが一人ひとりを呼び、招き、導き、励まし、促し、慰め、あなたを置いてくださっている。しかも、単独でそれを味わうのではなく、あなたはこの建物全体によって支えられており、またあなたがいなければこの建物に風穴が空いてしまう・・・そんな真理を、建物のイメージを通して主は教えてくださいます。


一つ一つの石には特徴と役割が違います。全員が牧師でもないし、全員が宣教師でもないし、全員が機械に詳しいわけではありません。それぞれに役割があります。違ってこそ、キリストの知恵が発揮されていきます。「なぜ、私がここに?」とか「なぜ、あの人がいっしょに?」と疑わずにいましょう。ここに一人ひとりを組み合わせてくださったお方がいるからです。角がとがっていては隣の石とぶつかります。けんかしていれば、建物どころではなくなります。それで、主はちゃんと石の角を削って置いてくださいます。まるで石細工人がそれぞれの石の角を削り、完全に仕上げて、はめ込むように、主はあなたを神の家の石として仕上げてくださいます。人間はこれに手を加えません。ただ、主がなさいます。


「神殿が建てられたとき、石切り場で完全に仕上げられた石で建てられたので、工事中、槌や斧や、いかなる鉄の道具も、いっさい神殿の中では聞こえなかった」(第一列王記6:7)



2. 成長する

さらに、この建物=「主にある聖なる宮」(21節)は「成長」します。無機質な石造り、今で言えばコンクリートの建物だと思ってはならないのですね。建物が成長する。これは大変面白いイメージです。なぜ、そのようなことになるのでしょうか。それは、土台と要の石がしっかりしているからです。このお方が支えきれない石はありません。このお方が扱えない石はありません。このお方が「いらないや」と捨てる石はありません。どんな石も、どんどん組み合わされていくので、建物全体は成長していきます。


これは単に教会を建物に無機質な面でたとえているだけでなく、成長していくという有機的な、いのちをもつものとして説明しています。私たちが「成長」と言う言葉を掲げるとき、それは自分たちの力で何とか・・・ではなく、もともと成長させてくださるように主がデザインしてくださっている、その主の知恵と計らいにならっていくことを思い出しましょう。成長は人間わざではなく、神のみわざです。


Ⅲ. 築き上げられる(22節)

1. 神の御住まい・宮として

「組み合わされ」に続いて同じような言葉で「築き上げられ」(22節)と続きます。これで2章の結びになっています。


第一ペテロにも同じメッセージが語られています。


「あなたがた自身も生ける石として霊の家に築き上げられ、神に選ばれる霊のいけにえをイエス・キリストを通して献げる、聖なる祭司となります」(第一ペテロ2:5)


私たちは死んだ石ではありません。動かない、モノを言わない、昔から姿が変わらない石ではない。生ける神の家に組み合わされているので、石も成長するのです。死んだ魚のような目をするのではなく、自分を燃焼させている石です。喜びをもっている石です。叫ぶ石です。痛みを感じる石です。しかし、ここから離れない限り、生ける石として神の家に築き上げられ、神の栄光のために必ず用いられます。名簿上の名前が大事なのではありません。人数が教会のかたちなのではありません。問題は生きているかどうかなのです。霊のいのちを持っているかです。私たちは、死んだ者ではなく生きた者です。だから、真剣に考え、時には戦いや誘惑や怠惰に勝利し、要の石と結びついていくことを選び、時を重ねるごとに自分を確立していく。そんな生きた献身をしたいと願います。惰性はやめましょう。週ごとに、主の日ごとに、新しい決意、献身をいたしましょう。いのちあふれた教会でありたく願います。   <了>


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