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福岡めぐみ教会

日本同盟基督教団

「私たちの特別な召命」


聖書:第一ペテロの手紙 2章3~6節

 これから話すことは、みんな知っていることです。この世界にはたくさんの苦しみがあります。 みことばが語るように、苦しみの多くは堕落の結果です。イエスさまにより、私たちは恵みを受け、罪が赦され、永遠のいのちをいただいています。神さまに感謝します! でも、まだ、生活の中で、私たちはみんな苦しんでいますし、イエスさまに従ったために苦しみを経験する人もいます。もしかしたら、迫害するかもしれません。イエスさまが帰って来て、この世から罪と苦しみがなくなるまで、私たちはどう生きればよいのでしょうか? キリストの再臨を待っている間の人生の目的は何でしょうか?

初期教会のクリスチャンも試練を通りました。使徒ペテロは、トルコの北と西にいるクリスチャンのことを心配し、一番良い、神のタイミングでこの手紙を届けました。この手紙が書かれたのは、紀元前62年か63年頃と言われています。ローマ帝国皇帝のネロは、数年後にクリスチャンをさらに迫害し始めます。手紙の中でパウロは、今、苦しんでいても、神を愛し、神を敬って生きるように励ましています。イエス・キリストの再臨を待ち望み、イエスの恵みと希望と永遠の財産を見続るように言っています。イエスを見ることはできなくても、イエスを愛して信じ、言い表せない程の喜びを持つことができます。キリストと同じように苦しみを受けますが、その苦しみは栄光のうちに終わります。

今日はこの箇所から、私たちが、キリストを価値ある宝として迎え、特別な召命を生きるように励まされることを願っています。まず、聖霊の助けを求めて祈りましょう。


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1.イエスのもとに来ると (3~6節)

先日、私たちは由美子姉妹、潤児兄弟、昌枝姉妹の素晴らしい証しを聞きました。昌枝姉妹が証しをした日曜日、ある未来クリスチャンの方がZoomで礼拝に参加し、証しを聞きました。その方はとても感動して、チャットボックスに「彼女の話は力強かった」と書きました。昌枝さんは力強く、神がいつくしみ深い方なのかを、証ししていました。

ペテロも、3節でクリスチャンに語りかけます。


「あなたがたは、主がいつくしみ深い方であることを、確かに味わいました。」

私たちは、主がいつくしみ深く、愛に溢れ、善い方であることを味わいました。

そのあわれみを受けている私たちは、4節に書いてあるように、主のもとに来つづけることが出来ます。クリスチャンの生活は神に近づく生活です。

ここで祭司たちのことを考えて見ましょう。神に近づくことができる唯一の方法は、「流された血」です。大祭司は、血を振りかけられ、大祭司となりました。祭司たちは、いけにえの血が流されることにより受け入れられ、聖別されました。「流された血」だけが、神に近づくことのできる唯一の方法でした。

私たちも同じように、自分のやり方で神に近づくことはできません。キリストの「流された血」によって神に近づきます。キリストによって近づくとき、私たちは神の内に怒りではなく、いつくしみを見出します。今はキリストにあって、神のところに行けるのです。

神は人とともに住みたいと願われ、その計画を持っておられます。

出エジプト記29:44-45にはこうあります。

「わたしは会見の天幕と祭壇を聖別する。またアロンとその子らを聖別して、彼らを祭司としてわたしに仕えさせる。わたしはイスラエルの子らのただ中に住み、彼らの神となる。」

エデンの園で、雲と火の柱がある幕屋で、神は人と共におられました。悲しいことにアダムとエバも、アロンとその子らも、わたしたちも堕落し、神の計画を成就することが出来ませんでした。もっと優れた祭司が必要でした!ですから神であるイエスがこの世に来られ、ご計画を成就して、神の住まいを作られています。

 4~5節ペテロは旧約聖書の預言を用いて、イエスがどのように素晴らしい方であるかを説明しています。

「主のもとに来なさい。主は、人には捨てられたが神には選ばれた、尊い生ける石です。あなたがた自身も生ける石として霊の家に築き上げられ、神に喜ばれる霊のいけにえをイエス・キリストを通して献げる、聖なる祭司となります。」

イエスは選ばれた、尊い生ける石です。私たちも死んだ石ではなく、生きた石として霊の家に築き上げられます。エルサレムの美しい神殿について、人々はイエスにこう言いました。

ルカ21:5-6

「さて、宮が美しい石や奉納物で飾られている、と何人かが話していたので、  イエスは言われた。『あなたがたが見ているこれらの物ですが、どの石も崩されずに、ほかの石の上に残ることのない日が、やって来ます。』」

(慟哭の壁絵、イエスの足元にいるマグダラのマリア)。

当時の人たちはその石が素晴らしいと思いましたが、それらの石は死んだ石でした。神にとって、最も重要で貴重な石は、御子である主イエスです。今もエルサレムでは、世界中から来た人々が「嘆きの壁」に向かって神様に祈っています。でも神の願いは、人々が壁にではなく、イエスのもとに来ることです。そして、私たちがイエスのもとに来るとき、私たちを神の家に築かれた生きた石としてくださいます。どうしてそんなことがあるのでしょうか? 

先週の日曜日に聞いたように、それは、キリストが死者の中からよみがえった生きた石だからです。私たちも、今はもう罪の中に死んでいるのではなく、神に対して生きています。この新しい神の住まいである教会こそ、神の前で生き生きと生きているのです。

次に進みましょう。私たちは聖なる祭司でもあります。

 4節~8節で言われている、もう一つのポイントも見逃してはいけません。そのポイントとは、神にとって、キリストは選ばれ、尊い存在である、ということです。私たちにとって、キリストは尊い存在でしょうか?私たちの人生において、イエスは誉れ高く、尊敬され、大きな価値があり、私たちの宝物でしょうか?

キリストをどう取り扱うかが、あなたの人生の行き先を決めます。もしあなたがキリストに近づき、その言葉を信じるなら、あなたは失望することがありません。

6節では、こう語られています。

「見よ、わたしはシオンに、選ばれた石、尊い要石を据える。この方に信頼する者は決して失望させられることがない。 」

キリストほど尊いものはありません。私たちがキリストのもとに来たとき、キリストは  あなたの人生の中で最も尊い存在となります。キリストがすべてとなるとき、それは私たちの生活や会話に表れます。

 

2. イエスを捨てると(7~8節)


 1960年代、ある人が祖父にケンタッキーフライドチキンの株を売ろうとしました。祖父は、そんなものに価値があるわけがないと思って笑いました。その後、祖父は自分がいかに間違っていたかを思い知りました。株については間違っていましたが、祖父は尊いキリストを信じました。それが、彼の永遠の行き先を変えました。キリストを通して神のもとに来ない人はどうなるのでしょう?キリストを尊いと思わない人はどうなるのでしょう? キリストは自分にはふさわしくないと考える人はどうなるのでしょう?

その人にとってキリストは、価値のない邪魔な存在です。ですから、人生はこの生きた石の上に築かれるのではなく、キリストにつまずいてしまいます。みことばから、次の愛に満ちた警告の言葉を聞いてください。

7節と8節

「したがってこの石は、信じているあなたがたには尊いものですが、信じていない人々にとっては、『家を建てる者たちが捨てた石、それが要の石となった』ので あり、それは『つまずきの石、の岩妨げ』なのです。彼らがつまずくのは、   みことばに従わないからであり、また、そうなるように定められていたのです。」

キリストの救いのメッセージに背き、信じない者は、栄誉ある行き先へと歩むことができません。6節を逆にとれば、キリストを信じない者は、皆、失望するということです。

ヨハネ3:36はこう語っています。私たちはこの警告をしっかりと聞くべきです。

「御子を信じる者は永遠のいのちを持っているが、御子に聞き従わない者はいのちを見ることがなく、神の怒りがその上にとどまる。」

残念ながら、キリストを捨てた者たちはそうなりますが 9節に入ると、素晴らしい言葉・・・「しかし」があります。今からペテロはもっと大胆に、私たちクリスチャンのアイデンティティと召命を説明します。


3. 私たちの特別な召命(9~10節)


9節

「しかし、あなたがたは選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神のものとされた民です。それは、あなたがたを闇の中から、ご自分の驚くべき光の中に召してくださった方の栄誉を、あなたがたが告げ知らせるためです。」

クリスチャンの皆さん、あなたは誰ですか?あなたの人生の目的は何ですか?あなたの特別な召命は何ですか?ペテロは、4つの美しい表現で、キリストにある私たちが誰であるかを教えてくれます。

1) 選ばれた種族 2)王である祭司 3)聖なる国民 4) 神のものとされた民

ペテロがトルコのクリスチャンたちに、そして私たちに何を言っているのか、分かりますか?彼は出エジプト記19:5-6の言葉をキリストに当てはめています。

「今、もしあなたがたが確かにわたしの声に聞き従い、わたしの契約を守るなら、あなたがたはあらゆる民族の中にあって、わたしの宝となる。全世界はわたしのものであるから。あなたがたは、わたしにとって祭司の王国、聖なる国民となる。」

これが、神が計画したイスラエルの姿です。ユダヤ人も私たちも自分の力でこのようになることは出来ません。そこで、神さまは、尊い御子を送り、この約束を果たされました。このことは、私たちにとってどのような意味があるでしょうか?

それは、イエスのもとに来る者は、イエスから特別な召しを受けるということです。

アラブ人、黒人、白人、日本人、その他の種族でも関係ありません。教会で、人種差別はありえません。キリストを通して、クリスチャンは、皆、神の民に属しています。皆、祭司です。苦しみに満ちた世界に置かれた、神の代理人です。これは牧師、宣教師、伝道者だけの特別な召命ではありません。これは、キリストのもとに来たすべての人のアイデンティティであり、召命です。これが私たちですが、このことは私たちの日常生活にとってどのような意味を持つのでしょうか?

目的のために、私たちはキリストに贖われました。神に選ばれ者、聖なる贖われた民、王である祭司として、神は私たちに二つの特権を与えています。

もう一度9節を見てください。

「それは、あなたがたを闇の中から、ご自分の驚くべき光の中に召してくださった方の栄誉を、あなたがたが告げ知らせるためです。」

王の祭司である私たちを通して、この世界に神の国が来ています。私たちには告げ知らせるべき、素晴らしいメッセージがあります。神が私たちのためにしてくださったという体験からのメッセージです。では、私たちのために神がしてくださったことは何でしょうか?

大塚牧師は、先週の日曜日にこのことを話しました。二人の女性は混乱し、何の希望も持っていませんでした。暗闇の中、イエスの墓にやって きて、二人は何を見たのでしょうか?墓が空だと気が付いたとき、絶望と死の暗い世界が、永遠の希望と命の光に変わったのです。夜が明けました!天使たちは、まぶしい光を放ちながら、「ここにはおられません。よみがえられたのです」と宣言しました。私たちが救われたのは、何か特別な人々だったからではありません。

10節にこう書かれています。

「あなたがたは以前は神の民ではなかったのに、今は神の民であり、あわれみを受けたことがなかったのに、今はあわれみを受けています。」

神が私たちをどこに置かれたとしても、私たちには大塚牧師のように走って伝えるメッセージがあります。金子姉のように、イースターコンサートに人を誘うために走ることができます。私たちには尊いキリストと、私たちをあわれんでくださった神さまがおられます。この主を、みんなに告げ知らせましょう!

王である祭司としての1つ目の特権は、「闇の中から、驚くべき光の中に召してくださった神の栄誉を告げ知らせる」ということでした。今から2つ目の特権を見てみましょう:

5節をみてください。

「神に喜ばれる霊のいけにえをイエス・キリストを通して献げる、聖なる祭司と なります。 」


パウロはローマ人への手紙12章1-2で同じようなことを書いています。

「ですから、兄弟たち、私は神のあわれみによって、あなたがたに勧めます。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。」

神さまのあわれみの中で、このいけにえを捧げます。これは自らの良い行いではなく、キリストによってなされるささげものです。そのことを神は喜ばれます。天の父は、福岡めぐみ教会の群れ、この霊の家をご覧になり、私たちの礼拝を喜んでくださっているのです。

まとめましょう。神さまは私たちに何を言っているのでしょうか?

子どもにも大人に聞きます。主があわれみ深い方であることを体験していますか?「キリストのもと来なさい」と神が呼ぶ声を聞きましたか?この方に信頼するなら、失望することは決してありません。

 しかし、もし、あなたがキリストを価値がなく意味のない存在と考えるなら、あなたの行き先は神のことばを信じない者たちと一緒です。だから、今日、イエスのもとに来てください。あなたが神に受け入れられ、生かされるために、キリストはあなたの罪の身代わりとなって死に、よみがえられたことをただ信じてください。

この恵みよって、今日からキリストに従うことができます。礼拝の後、あなたの信仰と願いについて、近くに座っている方に話してみてください。また、大塚牧師に、イエスのもとに来るとはどういうことなのか、尋ねてください。

 福岡めぐみ教会の兄弟姉妹、キリストを通して主に近づき続けましょう。神さまは今もいつくしみと愛に満ちておられます。希望を持ってキリストの再臨を待ちながら、自分のアイデンティティを覚え続けてください。キリストと御霊によって、この世界で特別な召命を果たすことができます。王の祭司として近所を歩いたり、そこを私たちの遣わされた場所として見ましょう。私たちを通して神の国が来ているのですから、隣人のために祈り求めましょう。事務所の机に向かっているとき、クラスで話しをするとき、友人と一緒にお昼ご飯を食べるとき、息子や娘が寝る前に共に祈るとき、LINEで友だちと話すとき、私たちは誰なのか、私たちの特別な召命を思い出してください。

(私たちは、皆、イエスのゴスペルハウスです!)

選ばれた、尊い、生きた石であるキリストをほめたたえましょう! 祈りましょう。


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