「聖餐礼拝について」
- 大塚 史明 牧師
- 1月12日
- 読了時間: 2分
◆私たちの教会は昨年から新たな取り組みとして「聖餐礼拝」をささげるようになりました。これまで月1回、通常礼拝の中で執り行われていた聖餐式ですが、それを中心とした聖餐礼拝に切り替えました。回数は年4回(予定)になりますが、各回でより知的、感覚的に、印象深く聖餐式を味わうためです。「本日の聖餐式で救いの確かさがよくわかった」「あのときの聖餐式を今でも覚えている」など信仰の記憶に刻まれる聖餐礼拝になることを願いつつ備えています。
◆聖餐式の最大の目的の一つは「ですから、あなたがたは、このパンを食べ、杯を飲むたびに、主が来られるまで主の死を告げ知らせる」(第一コリント11:26)ことです。「主の死を告げ知らせる」聖餐式を執り行うことが大切だと考えます。洗礼を受けたクリスチャンであれば、「主の死」の意味を受け取り、ますます感謝をするようになります。また五感を通して入って来る主の死の確かさが、自身の信仰の確信を深めもしてくれます。頭の理解や行いの積み重ねで救いの安心を得ようとしてします私たちの弱さに対して、聖餐式は「主の死=主のなしてくださったこと」が救いのすべてであることを教えてくれます。
◆まだクリスチャンでない方にとっても、聖餐式は「主の死を告げ知らせる」ものでなければなりません。無関係な儀式、疎外感を抱くようなことがないよう配慮や工夫が必要です。そのために、丁寧な説明、平易な言葉、明瞭な流れで構成するようにしています。このあたりのアイデアやご意見がありましたら、ぜひ牧師や執事までお声かけください。初代教会のクリスチャンは、周囲から「人のからだを食べている」と誤解されるほど真剣に聖餐式を執行していた記録があるほどです。
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