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執筆者の写真大塚 史明 牧師

「手話賛美で教えられて」

◆先月から礼拝での結びになる主の祈り、頌栄を手話でもって賛美しています。準備、リードしてくださる兄弟姉妹に感謝します。私も岐阜市での母教会では説教や賛美に手話通訳がある環境で過ごしました。暗唱聖句や主の祈り等を手話で教えていただくうちに、何を祈っているのか、何を賛美しているのかを掘り下げて考えるようになりました。また手話は表情も伴ってその意味をもたらします。喜びは喜んで、願いは願って、罪は悲しんで表現しながら手話をしないと意味が伝わらないとも教えてもらいました。

◆手話賛美は、意味を味わうとともに、その速度にも注意が必要です。速すぎると手話が流れてしまい、それは意味も失うことになります。また遅すぎたり、タメがありすぎると手話では表せないすき間ができてしまうので、その点も集中が求められます。

◆また速度とは別にリズムやテンポにも気をつけないとなりません。具体的には言葉と言葉の合間や次の小節への入り方などが不ぞろいだと賛美が崩れてしまい、それを曲中に取り戻すのは難しくなります。反対にこの点がそろって進んでいくと全体に心地よさが行き渡り、まさに一体感がうまれてきます。

◆声の賛美と手話賛美を分けるよりも、賛美とは何かという本質から考えると、主をたたえること、礼拝すること、教会全体でささげること、一人ひとりが組み合わされていくこと、聖霊の導きと働きを求めること等多面的な視野も養われていきます。幸い、私たちの教会では手話を教えてくださる兄弟姉妹がおりますので、ぜひ手話のやり方やなり立ち等も教えてもらってみてください。「ラッパを吹き鳴らす者たち、歌い手たちが、まるで一人のように一致して歌声を響かせ、主を賛美し、ほめたたえた」(第二歴代誌5:13)

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