◆子どものころ、クリスマスは「何をもらおうか」ばかりを考えていました。少し大人になると「贈り合う」ことを考えるようになりました。三浦綾子さんの「続・氷点」に次のようなセリフがあります。「一生を終えてのちに残るのは、われわれが集めたものではなくて、われわれが与えたものである。」
◆所狭しと陳列された商品棚、果てしないコレクションや数々のお気に入りの品物、次々と湧きおこる物欲は人間の悲しい性です。これらのいずれも、いつかはこの世から消えるものであり、ずっと自分の手元に置いておくこともできないものです。すべて手元に「集めた」ものは、自らの死とともに離れ、消えていきます。しかし、「与えた」ものは、自分がいなくなってからも残り続けます。いえ、残るどころかむしろ「増え広がっていく」のではないでしょうか。
◆聖書のクリスマスは、「与える」一択です。「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。」(ヨハネ3:16)とおりです。この聖句を先週のクリスマスキッズフェスタでは暗所聖句とし、ゲームでも覚えるように工夫されていました。参加したのは58名の子ども~中高生。中でも印象的だったのは、おそらく教会は初めてであろう男子が繰り返し「神は、実に・・・」と大きな声で答えていたことです。自分自身で何度も何度も福音のことばを発し、周りもこのみことばを聞き続けました。
◆キッズフェスタを行うまで、多くの祈り、話し合い、買い出し、準備、配布、声がけがありました。それぞれ犠牲を払ってくださったこと(自動的には祈りや言動は起こらない)に感謝します。それとともに、私たちは与える神によって福音を知り、信じるように導かれ、救いにあずかるようにされた事実に驚愕します。神が大切なひとり子を与えてくださったこと。ここに愛があり、救いがあります。もっとも素晴らしいイエス・キリストを分かち合いましょう。
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