top of page
執筆者の写真大塚 史明 牧師

「次の教会のすがた(その8)」

◆前々回に「主の宮」について記しました。旧約時代は祭壇、幕屋、神殿が礼拝の場であり、新約時代はそれぞれの家が礼拝の場であり、クリスチャン個人を指しても「あなたがたは聖霊の宮である」と教えていることを確認しました。聖書の記述からは以上のことが分かりますが、さらにユダヤ文書等を参照すると興味深い記録が残されています。

◆旧約のイスラエル王国がバビロン帝国によって支配されたとき、多くのユダヤ人が捕囚としてバビロンが支配する地域へと捕らえられていきました。いわゆる「バビロン捕囚」です。戦争で勝利した国は、敗北した国を徹底的に弱め、反逆の機会を与えないように土地や戦利品を奪い、人々を散らして弱体化させるからです。しかし、イスラエルの民は散らされた地域でも唯一の神を礼拝し、聖書(律法)を大切にし、神の民としての聖さを保ち続けました。もうエルサレム神殿で礼拝をささげることはできませんが、彼らは散らされた先で集まって礼拝をしたのです。こうして「シナゴーグ」と呼ばれる礼拝の場、会堂が誕生しました。クリスチャンは神礼拝のためにはしぶとく、粘り強くあったのです。

◆「シナゴーグ」はエルサレムを向けて建てられ、ダニエルも「屋上の部屋はエルサレムの方角に窓が開いて」(ダニエル6:10)祈りと礼拝をささげていました。これが新約時代に「会堂」と呼ばれるところで、イエスさまも「安息日に会堂に入って教えられた」(マルコ1:21)と礼拝、宣教、祈りの場としてシナゴーグ会堂に集っておられます。さらにそこは礼拝の場だけでなく「会堂司ヤイロ」(マルコ5:22)のように、会堂を管理する人のいたことが分かります。それはただ掃除や留守番といった管理ではなく、この会堂であらゆるユダヤ人の生活支援、相談、交わりがなされており、彼らはその管理責任を負う者でした。会堂は神と出会う礼拝の場、クリスチャンの交わりの場、地域の人々との交流の場としての役割を担っていました。

閲覧数:0回0件のコメント

最新記事

すべて表示

「一書一か月通読の恵み」

◆先週このコラムでお分かちした一書を一か月間繰り返し読む通読法。私は「第一ヨハネの手紙」が二週目に入り、だいぶ慣れてきました。大げさではなくヨハネから「おはよう」と言ってもらっているような感覚になってきました。そして、不思議なことに毎日新しいことを教えられます。正確には、毎...

「第一ヨハネの手紙を一か月毎日読む」

◆先週は夏の行事がひと段落し、エステル会も夏休み期間なので、自分自身の信仰生活を見つめ直す時間を過ごしました。その中で、個人的なディボーションの質の悪さを示されました。牧師であれば聖書を読むことは普通のこと、むしろ仕事の時間もそれができると思われるかもしれませんが、質の面で...

「機会を十分に活かしなさい(エペソ5:16)」

◆夏の教会行事が一区切りとなりました。その中で印象に残った2つのことを記します。一つは7/27(土)に福岡聖書教会(早良区)で行われた東京キリスト教学園(TCU)デーです。例年は9月にTCUから講師を迎えて礼拝や講演を催していました。今年は福岡地区から次世代の献身者をTCU...

Comments


bottom of page