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「次の教会のすがた(2)」

◆(11/20週報コラムからの続きもの)聖書に基づく教会を考えるとき、聖書の始まりからどのようなつながりがあるのかを知っておくことが大切です。アダムの歴史から始まり、セツが主の名を呼んで祈り、ノアは神が命じられたとおりに箱舟を作りもろもろの国民の元となり、バベルの塔で人々は全地に散らされ、主によって選び出されたアブラハムはその御声に聞き従い、イサク、ヤコブ、ヨセフとイスラエル民族として神信仰を継承し、モーセの時代にはエジプト脱出と主のさばきの過越、紅海を渡る救いを経験し、ダビデ、ソロモン王国では神殿の建設と確立、その後は離散を経験しました。これらすべては神の民の歴史、記録であり、主はその民を根絶やしにすることなく守られました。どの時代にも、人々がどんな行いをしても、どこにいても、神は御声を響かせ、預言者を立て、悔い改めへと導いてこられたのです。

◆主イエスの昇天後、民族の隔ては取り除かれ、すべての信じる者に聖霊が注がれ、キリストのからだと呼ばれる教会の時代が幕を開けました。週のはじめの日(日曜日)に主を礼拝するようになり、キリストの死と復活につくバプテスマ(洗礼式)を執り行い、キリストの死と再臨を覚える聖餐式を守り行うようになりました。これらすべては旧約の律法、動物によるいけにえ、過越の食事の成就です。

◆こうして、教会のすがたは旧約から新約、そして今に至るまでつながっています。【教会】と訳されている【エクレシア】という語は「呼び出された者の集まり」という意味です。教会の招集者は主なる神であり、教会は神に招かれている者、教会は神に集められている者たちを指します。人間による呼びかけ、教祖による開眼、秘教的な要素はいっさいありません。実に、アブラハム、ノア、モーセ、ダビデといった旧約の目を引く出来事や人物に神の御心が示され実行されていたように、教会も神の計画の中心になるものなのです。天地万物の創造主である神が【ご自身の教会】を始め、導かれ、これからも用いようとされる。そこに、私たちは招かれています。教会こそ、神の計画の中心。そう思うとますます聖書に聴きたくなりますね。

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