◆先週は使徒の働き2章から初代教会のすがたを学びました。改めて、聖書に記された教会のモデルの骨子を学び直すとともに、新鮮さを覚える個所でもありました。この「新鮮さ」はそれだけ歴史なり現代の教会がそこから離れているということなのかもしれません。「フツーの教会」「教会ったこうあるべき」「これが教会だよね」との常識を今一度、みことばと聖霊によって刷新していただきましょう。
◆初代クリスチャンたちは「毎日」「宮」「家々」で集まり、聖書の教えを守り、交わりを持ち、それぞれの必要に応じて分け合い、パンを裂き、祈り、神を賛美していました。水曜の祈祷会で分かち合ったとき、私に迫ってきたのは「毎日」という言葉です。彼らは毎日集まりました。それは規則や決まりではなく、そのように彼らの心が動かされたからに他なりません。神の子どもとされた者同士、顔が見たくて仕方がない、一目でも見て祈りたくて仕方がないのが毎日続いていたようです。これから私たちが「毎日」集まるようにするのは難しいかもしれませんが、ぜひこの初代クリスチャンたちの熱量をいただいてみるのはいかがでしょうか。
◆具体的には「会堂」や「集会」以外の教会のすがたです。初代教会は宮だけ、礼拝式だけ、聖餐式だけに教会活動を制限していませんでした。それ以外の時、機会、場所、集い、交わりを持っていたことが「毎日」「家々で」という個所が教えていることです。
◆前任の入江師夫妻は、登校前の子どもたちを祈って送り出したという(歴史的な!)記事を、教団機関紙等で幾度か拝見しました。他にも自宅で登校前に近隣の子どもたちを祈って送り出した方がおられたことも聞きます。公園で、駅で、家で、ちょっとした交わり、祈りのときを持ってみる。会堂外や集会以外に兄弟姉妹の交わりを持つことをイメージしてみてください。既存意識が良い意味で改革され、新たな視点、行動が与えられるのではないでしょうか。すべては主の恵み!!
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