top of page

福岡めぐみ教会

日本同盟基督教団

恵みにする訓練

更新日:2022年8月8日

 教会や聖書で「恵み」という言葉をよく聞き、また使います。この教会名は「福岡めぐみ教会」。入江牧師から引き継いだこのコラム名も「主の恵み」。「恵み」という言葉の持つ意味、その広さ・長さ・高さ・深さはどれほどのものでしょうか。実に「すべてが恵み」という境地こそ、神を信じる者に与えられる恵みの理解です。私たちは自分が良いと思ったもの、自分にとって良く感じられるものを「恵み」とし、受け付けないものや予想に反するものは「試練」とかひどいときは「罰」などと受け止めてしまいがちです。そうして自分の目にとって良いもの、悪いものを見分けていくと判断基準が自分になってしまい、「すべてが恵み」とは到底言えなくなります。そしてそんな自分はダメだとか、神さまが分からなくなって・・・と弱音を吐いたりもします。イスラエルの民が荒野の旅路で空腹時につぶやいたとき、主は天から「マナ」を降らせて40年間養われました。人々の最初の反応は「これは何だろう」(出エジプト16:15)という驚きでした。得体の知れない、けれども確かな主からの贈り物。そうして40年の間養われたにもかかわらず、民数記11:6では「私たちの喉はからからだ・・・ただ、マナを見るだけだ」と不満をぶつけます。あの新鮮な驚きは消え失せ、毎日マナばっかりで飽きてしまった、もう見るのも嫌だ!となったわけです。初めの驚きを、初めの感動を、初めの躍動を、今も、そしてこれからもそのまま受け取り感謝する者でありたく願います。主よ、すべてがあなたからの恵みとする訓練をさせていただけることを感謝します。


閲覧数:0回0件のコメント

最新記事

すべて表示

◆教会の使命は「福音宣教に生きる」ことです。主なる神は、この地上に教会をお建てになりました。それは「神がご自身の血をもって買い取られた神の教会」(使徒20:28)であり、「私たちはキリストに代わる使節」(2コリント5:20)であり、「使節の務めを果た」(エペソ6:20)すために、「世から選び出し」「世に遣わされ」(ヨハネ17:6、18)た存在です。これは聖書に書いてある理想的な教会のすがたのように

◆6月からスタートした英語クラス。現在は7クラスあります。特筆すべきはそのうち1クラスだけが教会堂で、その他6クラスは会堂外で開催されていることです。これは歴史的な一歩と呼んでも大げさではありません。6クラスのうち2クラスずつが宣教師宅、あとは1クラスが信徒宅、1クラスは生徒宅(!)です。主がアンバリー、ローレン姉を送ってくださり、案内トラクトが作成され、配布され、祈って迎えた英語クラスをこのよう

◆先週木曜のお出かけエステル会は唐津へ足を延ばしました。昨年来、何度か唐津城には訪れたことがありましたが、今回はほかならぬエステル会の姉妹方をお連れするので入念に下調べをして臨みました。すると、思わぬ歴史が埋まっていました(私が不勉強なだけなのは差し置きましょう)。唐津はかの二十六聖人がたどった地だったのです。国外宣教師6名、日本人修道者(献身者)20名が1597年2月5日に長崎にて殉教しました。

bottom of page