top of page

福岡めぐみ教会

日本同盟基督教団

「ささげる恵み」

◆私が福岡めぐみ教会に赴任してから一年半が経過しました。私たち家族を最初の日から今に至るまで受け入れてくださり感謝します。本日、私は那覇めぐみ教会におりますが福岡の大塚として行ってまいりますね!福岡めぐみ教会に来て、印象に残っているのは「よく祈り、よく仕え、よくささげる」教会であることです。主が素晴らしく働いてくださっていること、入江牧師夫妻が心を砕いて築き上げてくださった遺産です。そのことの感謝も含め、今回は「ささげる恵み」について記します。献金の祝福と意味を今一度確認できましたら幸いです。

◆私たちが手にし、目にしているもの「すべては主からの恵み」です。山や空や海を眺めるとき、人のわざや力ではなく、神の恵みを見ています。主は私たちの地上の生活のためにお金では決して買えないものを山ほど与えてくださっています。それゆえ私たちも「受けるよりも与えるほうが幸いである」(使徒20:35)と主が願っている務めと祝福を余すところなく体験したいのです。

◆ただし、聖書の中にも(!)金銭にしがみつくあまり、身の破滅を招いた事例があり、アカン(ヨシュア記7章)、イスカリオテのユダ(マタイ27章)、アナニヤとサッピラ(使徒5章)などが思い出されます。彼らは主のみこころを知りながらも、わざわざ無視し、取り返しのつかない後悔を刈り取ることになりました。神の命令に背くことはうしろめたさ、気まずさを呼び起こします。

◆主の恵みはいわゆる被造物、自然界や健康、収入だけではありません。実に、イエス・キリストのいのちを差し出してくださったほどです。主は、私たちに必要最低限ではなく楽しみや美しさも与えてくださいました。さらに、生活だけでなく霊的ないのち=救いも与えてくださいました。その救いは決して私たちが買い取ることはできず、与えられるのみです。私たちがささげるとき、生活と霊のいのちの両方をおしみなく、恵みとして与えてくださっている主に感謝を数えましょう。

閲覧数:8回0件のコメント

最新記事

すべて表示

「教団と教会」

私たち福岡めぐみ教会は日本同盟基督(キリスト)教団に属しています。今は国内外に249教会と16伝道所(教会内)があります。教団については、一つの教会ではできないことが教団として力を集約することで実現していけるという利点があります。この福岡めぐみ教会や私が以前に仕えていた盛岡みなみ教会も「教団レベル開拓」として国内宣教を前進させた素晴らしい仕組みです。また国外宣教も同様に、一つの教会で宣教師を立て、

「町のために」

◆先週は福田真理師夫妻を迎えての礼拝、午後の教会セミナーがありました。主が私たちの教会に遣わしてくださった恵みに感謝します。午後はエレミヤ書29章4-7節を朗読して始まりました。そこには、バビロン帝国という異国に引いて行かれたイスラエルの民について書かれています。その町の平安を求め、その町のために主に祈り、その町に平安(シャローム)をもたらしなさいという命令です。異国の地や人々、その習慣を嫌悪する

「教会で育まれること」

◆信仰生活には個人と共同体の両面があります。時代ごとにいずれか片方が強調される傾向があり、それが強くなりすぎるともう片方にゆり戻していく動向があります。個人面が最大限に強調されると、荒野や砂漠に退いて、一人で信仰を磨いていくようなイメージです。周囲との摩擦や雑音がないので時に快適かもしれませんが、成長が自覚できないときには次第に信仰の確信が薄れていく消極点もあります。共同体面が最大限に強調されると

bottom of page