top of page

福岡めぐみ教会

日本同盟基督教団

「次の教会のすがた(4)」

◆前回、羊は羊飼いの声のみによって呼び集められることを見ました。私たちがなすべきことは羊飼いなる主イエスの声を人々へ届けることです。では、その声をいかにして届けるのでしょうか。初代教会の宣教から多くを学ぶことが出来ます。主の弟子たちが聖霊を受ける前は「いつも宮にいて主をほめたたえていた」(ルカ24:53)とあります。いかにも教会らしい姿のように思いますが、重ねて言えばこれは「聖霊が望まれる前」の姿です。使徒1~2章で弟子たちが集まり祈っているところに聖霊が臨まれると、御霊が語らせるままに皆が語り始めました(使徒2:4)。それからは日ごとに大勢の人々が主イエスを信じて救われるようになり「毎日・・・宮に集まり、家々でパンを裂き」(2:36)と宮から家々という転換(広がり)が見えてきました。その後すぐに迫害の勢いが増しペテロやヨハネが捕えられ、ステパノは殉教します。エルサレムの教会は敵対する者たちの標的とされ、地方へと散らされます。普通はここで根絶やしにされるか、意気消沈して消滅しそうなものですが、何とそこには「散らされた人たちは、みことばの福音を伝えながら巡り歩いた」(8:4)のです。これが初代教会の宣教スタイルです。決して彼らの証し生活が悪くて解散させられたのではなく、真理に生きているからこそ嫌われ、迫害を受け、散らされました。 ◆先週、スポーツミニストリーで全国の諸教会を巡っているキム・鈴木夫妻を水曜祈祷会へお迎えしました。彼らも繰り返し「出て行ってこそ宣教のチャンスがある」とチャレンジを与えてくれました。それは、初代教会の宣教が散らされて始まったように、私たちも建物で待つ、自分のテリトリーにとどまりどうしても求められたら証しをするのではなく、出て行って羊飼いの声による福音を届けることが、原点なのではないかと問われました。もちろん、出て行くための基盤は必要ですが、こうして主の宮があり、集うことができ、神の民の交わりに生かされていますから、準備は整ったと見るべきです。私たちの次なる姿。それは聖霊によって力をいただき、出て行くことがカギになりそうですね!

閲覧数:4回0件のコメント

最新記事

すべて表示

「教団と教会」

私たち福岡めぐみ教会は日本同盟基督(キリスト)教団に属しています。今は国内外に249教会と16伝道所(教会内)があります。教団については、一つの教会ではできないことが教団として力を集約することで実現していけるという利点があります。この福岡めぐみ教会や私が以前に仕えていた盛岡みなみ教会も「教団レベル開拓」として国内宣教を前進させた素晴らしい仕組みです。また国外宣教も同様に、一つの教会で宣教師を立て、

「町のために」

◆先週は福田真理師夫妻を迎えての礼拝、午後の教会セミナーがありました。主が私たちの教会に遣わしてくださった恵みに感謝します。午後はエレミヤ書29章4-7節を朗読して始まりました。そこには、バビロン帝国という異国に引いて行かれたイスラエルの民について書かれています。その町の平安を求め、その町のために主に祈り、その町に平安(シャローム)をもたらしなさいという命令です。異国の地や人々、その習慣を嫌悪する

「教会で育まれること」

◆信仰生活には個人と共同体の両面があります。時代ごとにいずれか片方が強調される傾向があり、それが強くなりすぎるともう片方にゆり戻していく動向があります。個人面が最大限に強調されると、荒野や砂漠に退いて、一人で信仰を磨いていくようなイメージです。周囲との摩擦や雑音がないので時に快適かもしれませんが、成長が自覚できないときには次第に信仰の確信が薄れていく消極点もあります。共同体面が最大限に強調されると

bottom of page