「礼拝式順の意味と英訳(その4)」
- 大塚 史明 牧師
- 3月16日
- 読了時間: 2分
更新日:5月23日
今回は「悔い改めと罪の赦し」です。これが礼拝の前半に配置されていることにも意味があります。礼拝は、神が主催者となり、神の民を呼び出してくださることから始まります。その神の前で、礼拝者はどのような存在であるのかを認識するのが「悔い改め」です。
全知全能の神は、私たちの一挙手一投足もご存知です。このことを真剣に考えるとき、私たちは神に対する正しい姿勢を取らなければなりません。完全な聖であり義である神の御前に出ることは、恐ろしいことでもあるからです。私たちが何か悪いことをした場合、それを知っている人の前で堂々とふるまうことは難しいように、なるべく早く罪責感を解き放ちたいものです。しかし、罪は相手に赦されるまでその荷は軽くなることがありません。まさに「私が黙っていたとき 私の骨は疲れきり 私は一日中うめきました」(詩篇32:3)という状態です。
その罪が赦される第一歩は「告白」です。罪を明らかにすることには大変な勇気が必要ですが、何と神は私たちが罪を告白するのを喜んで聴いてくださるお方です。全知全能の神の御前に出るとは、私たちの隠れた罪をも知っておられるということですが、そのお方がなんと、私たちを礼拝に招いておられるのです。私たちが心の扉を開けて交わりを持つことを神は心待ちにしておられるのです。この神の愛とあわれみを知るとき、私たちは礼拝にあずかる幸いを感じるようになります。「礼拝に行かなければならない」から「礼拝をしたい」へ思いが変えられます。なぜなら、私たちが礼拝する神は罪の重荷を解き放ってくださる唯一の方だからです。罪は私たちに漠然とした不安、死への恐怖、自分の存在の否定など負のオーラをもって迫ります。次のみことばは真実です。「もし私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、私たちをすべての不義からきよめてくださいます」(1ヨハネ1:9)
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