top of page

福岡めぐみ教会

日本同盟基督教団

聖書を読むことと適用すること

更新日:2022年8月16日

◆「聖書を読む」ことはクリスチャン生活の基本であり、教会でも通読をはじめ日々のディボーションでも奨励していることです。今回のコラムでは「読むことと適用すること」について記します。聖書が書かれた目的は第一に救いのためです。「聖書はあなたに知恵を与えて、キリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができます」(第二テモテ3:15)とあるとおりです。そして「信仰によって救われる」ことを教えるために聖書は実に多くのことを語っています。ノアの洪水後に契約の虹をかけられた神、主を信じて義とされたアブラハム、父祖の信仰を受け継いでいったイサク、ヤコブ、神に選び出された末の子であるダビデ、まことの神に立ち返るように語り続けた預言者たち・・・これらはすべて「信じることによって救われる」ことを教えています。そして、私たちは聖書から「信仰による救い」がどれほど素晴らしいものなのかを聴き続け、確認することによって、救われていることの確かさ、高ぶりからの守り、感謝、喜びにあずかることができるようになります。そのために、救いを中心に聖書を読むことが大切です。◆聖書のもう一つの目的は成長のためです。「聖書はすべて神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練のために有益です」(第二テモテ3:16)と、聖書はそれに聞き従う者を成長させることができます。この成長は、ただ読むだけではなく「適用する」ことで成し遂げられていくものです。そのためには、読むことではなく、読んで行うことを目的にしなければなりません。聖書を通じて語られる主の声を聴き、何をなすべきなのかを探り、その通り行えるように祈りましょう。聖書を読み、適用してこそ生きた証しが生まれるからです。

閲覧数:25回0件のコメント

最新記事

すべて表示

「町のために」

◆先週は福田真理師夫妻を迎えての礼拝、午後の教会セミナーがありました。主が私たちの教会に遣わしてくださった恵みに感謝します。午後はエレミヤ書29章4-7節を朗読して始まりました。そこには、バビロン帝国という異国に引いて行かれたイスラエルの民について書かれています。その町の平安を求め、その町のために主に祈り、その町に平安(シャローム)をもたらしなさいという命令です。異国の地や人々、その習慣を嫌悪する

「教会で育まれること」

◆信仰生活には個人と共同体の両面があります。時代ごとにいずれか片方が強調される傾向があり、それが強くなりすぎるともう片方にゆり戻していく動向があります。個人面が最大限に強調されると、荒野や砂漠に退いて、一人で信仰を磨いていくようなイメージです。周囲との摩擦や雑音がないので時に快適かもしれませんが、成長が自覚できないときには次第に信仰の確信が薄れていく消極点もあります。共同体面が最大限に強調されると

「釜山ホサナ教会訪問記」

◆先週は家族で釜山ホサナ教会にて礼拝をささげました。期間中のお祈りと派遣を感謝します。釜山はとても大きな町で人口は約332万人とのこと。福岡市(153万人)の倍以上です。港はその町の勢いや規模を表すのに有効な一つの指標ですが、釜山港は世界第5位の貿易港(博多港の約20倍規模)。ちなみに1995年の阪神大震災前は神戸港のコンテナ扱い量は世界4位でしたが、その後は73位まで落ち込んでいます。ただし、そ

bottom of page