「ルターにとっての主の祈り」
数週間、主の祈りを味わいますので、このコラムではそれにまつわるエピソードを記していきます。宗教改革者ルターは「忙しい、ああ忙しい。だから4時間は祈らなければならない」というのが口癖で、実際そのように生活をしていたそうです。とはいえ、ルターは聖書全巻のドイツ語訳に始まり、聖書講解、神学教育、賛美歌創作など歴史に耐えうる偉業をいくつも成し遂げています。それでも、1日の数時間を祈りに充てていたことに驚きと秘訣があるように思います。彼の友人によると「歩きながらでも、立ったままでも、目をあげ、手を天にあげて祈っているのをしばしば目撃した」と証言しています。ちなみに、祈りの手の形は開いたり、手のひらをあわせたり、五本指を組み合わせたりと様々でした。そして、ルターは、主の祈りに関して「世界で最大の殉教者だ」と言ったそうです。それは、主の祈りがいかにも不注意に、流れ作業のようにして唱えられていたからです。意味も味わわず、心も込められず、まるで殉教者=死んだ祈りになっていることに胸を痛めました。そのため、ルターは教会教育としてまとめた「教理問答(大と小がある)」に「主の祈り」の意味を問答形式でまとめました。例えば、「天にいます父なる神よ」のところでは、問「これはどういうことですか」答「神様が私たちのまことの父であり、私たちが神様のまことの子どもであることを信じるようになるため、神様は私たちの心をこの言葉によって動かそうとなさっています。それは、ちょうど愛する子どもたちがその愛する父親にするようなお願いの仕方で、私たちがしかるべき信頼と全き期待とを寄せて、神様に願い求めるためです」。平易な言葉で、しかし何度読み返しても教えられる内容です。私も、皆さんがそのように聴ける説教シリーズになるよう願って備えます。


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