「奉仕の場所を見つける」
- 大塚 史明 牧師

- 2025年8月24日
- 読了時間: 2分
教会はキリストのからだであり、1人ひとりは各部分であると聖書に書かれています。自分がどの部分なのかわからないと、もどかしさや疎外感、不足感を覚える人がいるかもしれません。「私は、主からこの召し、奉仕をを受けた」と自信をもっている人もいれば、「自分はどんな召しを受けているのかわからない」という人もいるかもしれません。
主は私たちに「何をすべきか」の召しを与えるとき、必要を見せてくださいます。「必要」とは、あることを成し遂げるために必ず備わっていなければならないものです。具体的には、神さまがある人を伝道の働きに召される場合、その人の目には救われる必要がある人々が映り、彼らをあわれむ心が湧いてきます。訪問の働きに召されるならば、問題を抱えて苦しんでいる人々の姿が目につき、その人たちを見て心が動かされます。祈りの奉仕に導かれる人は、次々と祈りを必要としている人たちの顔や声が浮かんでくることでしょう。
主があなたにどんな奉仕をゆだねようとしておられるのか、静まり、御声を聞いて応答していただきたいのです。教会の不足や欠けている部分が気になるとき、それは主があなたを用いよう、動かそうとしておられるのです。会堂の掃除が足りないと気になるなら、それは主があなたにその奉仕を任せておられるのです。教会で寂しそうにしている姿が見えるなら、神がその人に寄り添う奉仕へあなたを召しておられるのです。子どもたちが目につくなら、子どもの働きに召されているのです。どうか私たち一人ひとりが、神の召しに敏感になりますように。奉仕の働きが与えられることは喜びです。それによって、主のお役に立てるからです。この喜びは決して失われません。

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