「神を忘れてしまう性質」
- 大塚 史明 牧師

- 2025年10月5日
- 読了時間: 2分
先週の水曜、朝起きると足に違和感があり、歩くのに一苦労しました。少し変だと思いつつ、休む方が悪化すると考え、その日は努めて普通に過ごしました。転倒やぶつけた事象はないので、どうしてそんなに足が痛むのか分からずにいたのですが、その夜妻がひらめいて「あなた、痛風じゃない?」と言いました。そういえば、以前からある数値が高く、健康診断でも医師から注意するように言われていました。特に、妻は私の食事や運動、栄養剤などに留意してサポートしてくれていたのですが、数値は上がらないまでも、変わらず。痛風の症状も出ていないので、あまり気にせず生活していました。が、突然の痛み。「そうか、痛風か」と翌日受診し、処方してもらいました。
その後、しばらく骨折したような痛みが続き、一向におさまる気配がありません。普段、あんなにも自然に両足を地につけ、歩いたり、階段昇降したり、走ったりできていたのが遠い昔のよう。そして、それらを当たり前だと思って過ごしていた自分にも気づかされました。もし、何気なく立ち、自然に歩くことができたらそれは賛美すべき事柄です。教会の兄弟姉妹にも慢性的に身体の痛みによって、自立や歩行に苦労されている方もおられることです。祈りつつ、労い、支えたいなあと思いました。
こうした健康のことだけでなく、私たちには神を忘れる傾向があるとも言えます。昨日の中垣師も「神の、目に見えない性質、すなわち神の永遠の力と神性は、世界が創造されたときから被造物を通して知られ、はっきり認められるので、彼らに弁解の余地はありません」(ローマ1:20)と語っておられました。「聖書は最先端です!」と告白される科学者であり、信仰者としての姿にもとても励まされました。弁解の余地がないほどの神の圧倒的な力を味わいたいと願います。

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