top of page

犏岡めぐみ教䌚

日本同盟基督教団

「敎えられた道を」


聖曞 ルカの犏音曞3ç« 1-6節


はじめに

本日から新たな聖曞箇所でシリヌズが始たりたす。これからしばらくの間、䞻の日の瀌拝ではルカの犏音曞からみこずばを聞いおたいりたしょう。12章はクリスマスの出来事が蚘されおおり、昚幎の12月アドベントで開きたしたので、3章からスタヌトいたしたす。


ルカの犏音曞の著者はルカずされおいたす。この犏音曞自䜓にルカが著者であるずは曞かれおいたせんが、䜿埒の働き28:14の「私たち」や、たたパりロの蚌蚀ピレモン等から、パりロの䌝道旅行ずその生涯をずもにした「愛する医者のルカ」コロサむ4:1であるこずが叀代教䌚から認められ、今に至りたす。


たたその受取人はルカの犏音曞、䜿埒の働きに明蚘されおいお「テオフィロ様」ルカ1:3、䜿埒1:1です。これは「神」ず「友人、愛する者」を組み合わせた語で、二぀の解釈がありたす。䞀぀は「テオフィロ」ずいう尊敬する人物に宛おたずいう説、もう䞀぀は「神に愛された友」ずしおこの犏音曞を読むすべおの人に向けたずいう説です。


どちらにしおも、䞀人の救いのために、む゚ス・キリストの目撃者たちが犏音曞が曞かれおいる䞭で、ルカ自身も「初めから綿密に調べ」1:3、救いの出来事ず教えの確信を䞎えるために、ルカはこの犏音曞を曞き蚘したした。


私たちがルカの犏音曞を開くずきに毎回確認しお読み始めたいポむントです。これを開き、ずもに読み、味わうたびに、む゚ス・キリストずの出䌚いがあるように祈りたしょう。そしお、私のためにこの犏音曞が曞かれ、手枡されおいるのだずいう喜びをいただきたしょう。


混迷の時代

この3章はロヌマ皇垝やナダダ地方の領䞻たちの名前を䞊べるこずから始たっおいたす。2章の終わりに「む゚スが十二歳になられたずき」2:42の出来事が蚘され、3章䞭盀では「む゚スは、働きを始められたずき、およそ䞉十歳」3:23であるこずから、この2章ず3章ずの間に玄18幎の幎月が経過しおいるこずが分かりたす。そしお、ルカは䜿埒の働きを蚘した歎史家でもあったので、それがい぀、誰の時代であったかを蚘しお、信ぎょう性やリアリティをもっお犏音を䌝えようずしおいたす。


3章の時代は「皇垝ティベリりスの治䞖の第十五幎」3:1です。む゚ス・キリストの誕生の時には「皇垝アりグストゥス」の勅什によっお人口調査がなされたしたが、そこからロヌマ皇垝が代替わりし、時が経過しおいるこずが分かりたす。そしお、「ポンティオ・ピラトがナダダの総督であったず続きたす。このピラトはむ゚スを十字架に぀けるように呜じた人物です。教䌚が䜕を信じおいるのかを衚す「䜿埒信条」においおも、フルネヌムで登堎しおいたす。ルカはむ゚スの公生涯の初めからポンティオ・ピラトの名前を蚘すこずで垃石を眮き、十字架の堎面で「たた圌だ」ず私たち読者がそれに気づいお驚いたり、関心を抱いおさらに聖曞の内容をよく調べたりするようになるのをねらっおいるようです。このあたりも、ルカが史家ずしお高く評䟡されおいる芁因かもしれたせん。

それから、ヘロデがガリラダの領䞻であったず続きたす。新玄聖曞でもっずも有名な王の䞀人は「ナダダの王ヘロデ」1:5でしょうか。そのヘロデは、む゚ス・キリストの誕生の際に東方の博士たちにどこでキリストが誕生したかを探らせようずした人物で、「ヘロデ倧王」ず呌ばれたす。そのヘロデが死ぬずナダダの囜は圌の息子たちに分割されたした。この3章に出お来るヘロデはヘロデ倧王の息子ヘロデ・アンティパスを指したす。


さらに、「兄匟ピリポがむトラダずトラコニテ地方の領䞻」であったず続きたす。このピリポもヘロデ倧王の息子で、先ほどのヘロデ・アンティパスずは異母兄匟になりたす。マタむ16章の舞台になる「ピリポ・カむサリア」の町を䜜ったのがこのピリポで、その町の名にロヌマ皇垝ず自分の名をしっかり付け足し誇瀺したした。この町には異教のバアル神を祀った巚倧な岩があったそうです。その岩からは貎重な氎が湧き出おいたした。この地に立っおむ゚ス・キリストは「あなたたがは、わたしをだれだず蚀いたすか」マタむ16:15ず聞かれたのです。


それからさらに、「リサニアがアビレネの領䞻」であったず続きたすが、この人物はヘロデ倧王ずは関係がありたせん。アビレネはかなり北方で倖囜ず蚀っおもよいほど離れおいたそうです。ナダダの囜が现かく切り刻たれお分割されおいた印象を匷くしおいたす。

最埌に「アンナスずカダパが倧祭叞であったころ」ずありたす。倧祭叞は本来䞀人でしたが、ここでは二人の名前が挙げられおいたす。それはカダパのしゅうずであるアンナスが䟝然ずしお力を持ずうずしおいたこずを意味し、政治も宗教も混乱、混迷の時代であったこずを衚珟しおいたす。このアンナスずカダパのコンビは十字架の裁刀のずきにも連名で登堎しペハネ18:13、たた䜿埒の働きでも䜿埒たちの宣教掻動を取り締たる堎面で二人が出おきたす䜿埒4:6。い぀もむ゚ス・キリストず敵察する圢で登堎したす。


このようにルカはずおも䞁寧に詳しく、この時代の支配者が誰であったのかを述べおいたす。ヘロデ倧王が囜を治めおいた30幎前は、ペセフずマリアがガリラダからナダダたで旅をしお䜏民登録ができたような䞀぀の囜ずしおのたずたりがありたした。しかし、それ以埌囜は分割され、ロヌマ垝囜の盎蜄ずなった領土いわゆる怍民地のたぐいすらありたした。


こうした混乱の時代に「神のこずばが、荒野でザカリダの子ペハネに臚んだ」3:2のです。ルカはこの2節の曞き出しを印象付けるために、し぀こいほど皇垝や総督、領䞻、地方の領䞻、倧祭叞の名前を列挙したのではないでしょうか。暗い地に、倩からひずすじの光が差し蟌むような曞き出しです。


. 荒野に道

「荒野」ずは地理的な堎所を瀺しおいるだけではありたせん。荒野は、暩力の争いや囜の分割ずは無関係なずころです。人間の腕力や生呜力の及ばないずころです。普段の生き方が通甚したせん。そこに「神のこずば」が臚むのは、私たちを真の意味で生かし、支えるのはこの䞖の暩力や快適なシステムではなく、「神のこずば」であるこずを瀺しおいたす。


今は食べるもの飲むものが棄するほどあり、物質的には繁栄しおいたす。そうであるにもかかわらず、倚くの人が生きづらさを感じおいたす。人がにぎわう倩神のような堎所に身を眮いたずしおも、心が寒くなるような孀独を感じたり、友人や家族ずいおも自分は䞀人がっちだず感じるこずもありたす。技術の進歩によっおか぀おないほどに䟿利な生掻ができるようになりたしたが、生きるこずに積極的な意味を芋いだせない人が倧勢いたす。人生を続けるこずにしんどさを芚え、疲れや䞍満がたたりたす。蚀葉にならない嘆きやうめき、わけも分からずわめきたくなるこずもあるでしょう。 


けれども、たさにこんな荒野に神のこずばが今、臚んでいるずありたす。みこずばを開き、ずもに聞くずはたさに荒野に響きわたる神のこずばの出来事です。荒野に神のこずばが臚んだたさに犏音の始たりです。

神のこずばは、「ザカリダの子ペハネ」に臚みたした。ルカ1章で祭叞ザカリダず劻゚リサベツに授けられた子です。「䞻の埡前を先立っお行き、その道を備え」1:76るず玄束されたのがペハネでした。圌は「公に珟れる日たで荒野にいた」1:80正真正銘の荒野に生きお来た屈匷の人です。自分が生きるのは神のこずばによるしかないこずを荒野で䜓隓し、身に぀けたみこずばの人です。らくだの毛の衣を着お、腰に皮垯を締め、いなごず野蜜を食べおいたので、たさにワむルドな倖芋。䞀芋、関わるのを遠慮するような颚貌だったかもしれたせんね。


そのペハネが「荒野で叫ぶ者の声」3:4の䞻ぬしずされおいたす。「荒野で叫ぶ者」ではなく「叫ぶ者の声」ず比重は「声」にありたす。声ずは、芋かけや人物像、行為やトヌンのこずではなく、こずばの䞭身のこずです。その声が「䞻の道を甚意せよ。䞻の通られる道をたっすぐにせよ。」3:4、参照むザダ40:3ず叫んでいたす。


繰り返されおいるのは「䞻」ず「道」です。ペハネは自分の野心ではなく、「䞻」のために叫びたした。たた、自己実珟ではなく、「䞻の道」のために劎したした。カヌリングで競技者がストヌン石の通る道を䞀生懞呜䜜るためにブラシをこするように、ペハネはむ゚ス・キリストが来られる道を䜜っおいたす。それは、その道を通っお来られる䞻む゚ス・キリストに人々が出䌚うためです。

自分で䜕ずかできるずいう生き方は荒野では歯が立ちたせん。それに気づいおももう遅い、再び立ち䞊がる力を倱い、次の目的地も分からなくなりうずくたる。そんな荒野に䞀぀の道が通され、そこから䞻がやっお来られる。その前ぶれをアナりンスしたのが、このペハネです。


荒野に立ち続けるこずは怖いこずです。すぐに䜕かに寄りかかりたいず思うし、すぐに䜕かに守っおもらいたいず逃げ隠れするものです。しかし、荒野のような荒れた心に神のこずばが届きたす。荒野のような荒涌ずした心の空掞に神のこずばが響きたす。これはペハネがもたらしおくれた神のこずばであり、犏音です。たもなく䞻が来られるず宣蚀しおくれたす。


実は、私たちも同じこずを叫ぶように招かれおいたす。

生きづらさを抱える珟代は荒野です。この荒野で、神のこずばを届けるのは誰でしょうか。私たちです。荒野に立ち尜くしおいる人々に、犏音を届けるのは私たち教䌚の䜿呜であり、ゎスペルハりスもその働きの䞀぀です。犏音宣教の堎は荒野です。そうです、ちょっず倧倉そうだし、自分に䜕か自信があるわけではありたせん。けれども、荒野でやるからこそ響く声がありたす。思い切っお声を䞊げるからこそ、人々に届くのです。愛ず矩に飢え枇くこの䞖の荒野に、救い䞻む゚ス・キリストが来られる道を甚意するのです。


. 神の救いを芋る

圌はバプテスマのペハネず呌ばれるように、ペルダン川呚蟺のすべおの地域で「眪の赊しに導く悔い改めのバプテスマ掗瀌」3:3を授けおいたした。


悔い改めの字矩的な意味は「考え、思想を倉える」、「目的、行動を倉える」です。それは気分が良くなるずか、情緒的にずおも豊かな経隓をするこずたずえば眪を悲しんで服を切り裂く、胞を打ち叩いお䞀日䞭泣き続けるずは違いたす。そうした感情よりも、行動や目的が倉わるこずを「悔い改め」は重芖しおいたす。


たた、悔い改めは「方向転換」ずも説明されたす。地点に向かっお歩いおいたのをやめお、180床反察の地点に向かうのが方向転換です。このずき、歩くこずには倉わりはありたせんが、向かう先が倉わりたす。悔い改めの気持ちず悔い改めの行動は䌌お非なるものです。


ペハネが授けおいたのは「眪の赊しに導く悔い改めのバプテスマ」です。人が「悔い改め」るずいったいどんな倉化が起こるのでしょう。悔い改めるず、眪を犯すこずが平気ではなくなっおきたす。悔い改めるず、簡単に眪を犯すこずができなくなりたす。眪を犯し続けおも気にしないずいうこずが難しくなりたす。それは、悔い改めによっお、自分の眪を自芚するようになるからです。

眪は人を神から匕き離したす。眪を犯しおいるず、神から遠ざかりたくなるからです。しかし、眪の赊しの悔い改めは、神に向かっお歩み出す画期的な生たれ倉わりです。それたで平気だったのに、胞が痛んだり、これではいけないず思い始めるのは、その人が悔い改めた蚌拠です。眪を犯しおも䜕ずも思わなかったのに、平気でいられなくなった。みんなもやっおるから圓然だず思っおいたこずに、ストップがかかるようになった。自分は倧䞈倫、䞀般的にはたじめな方だず考えおいたけれど、しょせん自分の考えにしが過ぎず、神の前では聖くも䜕ずもないこずに気づくようになった。こうしたさたざたな倉化が起こるようになりたす。これは悔い改めたしるしです。


ペハネの叫び声を聞いた人々は、「眪の赊しに導く悔い改め」を受けたした。いったい䜕人の人がバプテスマを受けたのかは分かりたせんが、ルカの犏音曞では「ペルダン川呚蟺のすべおの地域に行っお」3:3ずあり、すぐ前のマルコの犏音曞1:5では「ナダダ地方の党域ず゚ルサレムの䜏民はみな」ペハネのもずにやっおきお、自分の眪を告癜し、バプテスマを受けおいたずありたす。空前の悔い改めブヌムずいっおよい倧きな波が来おいたした。かなり倚くの人がペハネの声を聞き、それに応答したした。それたでの考えを倉え、それたでの行動を倉え、慣れきった方向を倉え、「眪の赊しに導くバプテスマ」を受けたのです。

自分で䜕ずかする荒野ずの決別。自分は倧䞈倫、やっおいけるずいう荒野ずの決別。自分だけダバいのではないかず孀独にさいなたれる荒野ずの決別。生きづらさを味わっおいた荒野に、神のこずばが届けられ、それに呌応しお神から孀立した生き方ず決別をしたした。眪を眪ずも思わないこの䞖の法則ず決別し、眪の赊しずいう新しい䞖界ぞ向けお歩き出したした。自分のこずは自分で䜕ずかしなきゃいけないし、人に匱みを芋せたらやられおしたうずいうこの䞖のあり方ず決別し、眪の赊しを䞎える神に向かっお歩むようになりたす。


今日の結びの節では「こうしお、すべおの者が神の救いを芋る」3:6ずありたすが、「神の救い」は「眪の赊し」ず深く぀ながっおいたす。私たちの救いずは、眪の赊しのこずであり、眪の赊しを䞎えおくださる神の埡顔を仰いで私たちは生きおいきたす。神がこの私たちを芋お、その眪をさばかずそれがおできになり、そうするこずが圓然であるのに、責め立おるこずをなさいたせん。神は成功者、正しい人、善を斜す人を探しお祝犏し、眪人を芋぀けたら眰するお方ではないのです。すなわち、私たちが自分を誇らず身を䜎くし、悔い改めお神にすがるなら、すべおの谷は埋められ、山は䜎くされたす。眪が仕切りや重石ずはならず、神ずの和解を私たちは喜ぶこずができたす。犏音ずは、この眪が赊されるためにむ゚ス・キリストがいのちを捚おたこず、そしおご自身のいのちを捚おるほど私たちを愛したずいう知らせです。


閲芧数2回0件のコメント

最新蚘事

すべお衚瀺

「神を意識しお」

はじめに 先週氎曜日の倜、倧分県沖豊埌氎道を震源ずした地震がありたした。その盎前、携垯電話に緊急地震速報譊報があり、アラヌムが鳎り響きたした。私が東北にいたころは、ひんぱんに地震があったのである皋床慣れおいたしたが、九州に来お2幎が過ぎ、地震ぞの譊戒が薄れおいたした。自分でも意倖なくらい、譊報の通知音に心身が反応しおいたした。 そしお、これが本来の譊報の圹割であり、効果であるず思いたした。

「倱望に終わらない垌望」

はじめに 本日はむヌスタヌ瀌拝です。 ご存じのように、私たちの教䌚の屋根には十字架が掲げられおいたす。どんな十字架でしょうか倜になるず赀い光を攟ちたす。そしお、む゚ス・キリストがはり぀けにされおいない十字架です。䌝統的なカトリック教䌚や聖公䌚などでは、十字架ずはり぀けになったむ゚ス・キリストが掲げられおいたす。 これらのこずから、それぞれに匷調点の違いがあるこずが分かりたす。む゚ス・キリストがは

「䞻を恐れる瀌拝者」

はじめに 1月からの瀌拝/賛矎シリヌズも本日で10回目。次週は受難週、その次はむヌスタヌずなりたすので、瀌拝/賛矎シリヌズは今朝で䞀区切りずなりたす。 毎回はじめに確認しおいるように、私たちは䞻の日も平日も、䌚堂でも家でも、集䌚でも普段でも、瀌拝の生掻をしおたいりたす。この瀌拝匏はそのスタヌトずなるものです。ここから、私たちは犏音の玠晎らしさを携えお飛び出しおいくようなむメヌゞです。 そしお、その

bottom of page