top of page

犏岡めぐみ教䌚

日本同盟基督教団

「新たな十戒」


聖曞 ゚ペ゜人ぞの手玙章節

 今朝は予定より少し短い聖曞箇所ずなりたした。-節は、本日のタむトルにもあるように「新たな十戒」ずしお、読むこずのできたす。それぞれがどのように呌応しおいるのか、たた聖曞党䜓に貫かれおいる真理に期埅を寄せ぀぀、ずもに神の蚀葉に聎いおたいりたしょう。具䜓的には、新玄の光を通しお旧玄を読み、旧玄の土台の䞊で新玄を読むこずです。そうするこずで、偏った埋法䞻矩や攟任䞻矩から守られ、神の埡心を受け止めるこずができたす。


1. 怒りに぀いお-節

❶ 怒りを治めなければ・・・

節から始めたす節は最埌の節ず䞀緒に芋たす。ここは「怒り」に぀いお述べられおいたす。「怒っおも眪を犯さず、憀ったたた日が暮れおはならない」。日は毎日明け、毎日暮れるものです。もし毎日これを聞くずしたら、毎日怒っおいるこずになりたすね。そのくらい、怒りは私たちにずっお身近であり、ある意味圓然の感情でもありたす。そうした私たちに慰めを䞎えるように「怒っおはならない」ではなく「怒っおも眪を犯しおはなりたせん」ず教えおいたす。なんだ、怒っおもいいのだず早合点し、自分を肯定したくなりたすが、もう少し泚意深く読んでいく必芁がありたす。


実は、この節は十戒ではいわゆる第六戒にあたりたす。それは「殺しおはならない」出゚ゞプトです。「怒っおはならない」がどうしお「殺しおはならない」に぀ながるのか疑問に思われるかもしれたせんね。「殺人」で思い出すのは、人類最初の殺人、カむンがアベルを殺した蚘録が創䞖蚘章に出おきたす。その発端ずなったのはカむンの「怒り」でした。しかも「激しく怒り」創䞖蚘ず蚘されるほどのものです。激しい怒りは、人を殺すほどの゚ネルギヌ、力を暎発させおしたうものです。カむンは「それを治めなければならない」創䞖蚘ず蚀われた䞻のこずばに埓うこずができたせんでした。それも「怒り」によるものです。怒りは隣人を、家族を、友を傷぀け、正面から芋぀めるこずができないようにし、衚情をこわばらさせ、互いの距離を広げ、心の䞭で殺し、時には本圓に手をかけお息の根を止めおしたうほどの力を持っおいたす。そしお、残念なこずに誰もこの「怒り」から自由な人、怒らない人ずいうのはいたせん。誰もが心の䞭で、目で、衚情で、行動で怒っおいたす。誰から芋おも怒っおいるように芋える人は、ただその芋分けが付きたすが、衚面的には穏やかな人でも心のうちには嵐が吹き、波颚が立っおいるものです。ある神孊者はそういう人を「怒れる聖人」ず称したした。

しかし、この節は「怒っおはなりたせん」ではなく「怒っおも、眪を犯しおはなりたせん」ずくくられおいたす。眪を犯さないように怒るのではなく、怒っおも眪を犯さないように治めるこずです。具䜓的には「憀ったたたで日が暮れるようであっおはいけ」ないのです。これず䌌たずころでは「人はだれでも、聞くのに早く、語るのに遅く、怒るのに遅くありなさい」ダコブ1:19が思い出されたすね。ここでは「怒るのに遅く(Slow to Anger)」ですが、今朝芋おいる゚ペ゜では「早く怒りを治めよ(Quick to Stop Anger)」ずいうこずになりたす。これは、もし私たちが自分の怒りや感情、䞍満通りに生掻をしおいたら隣人ずの生掻が成り立たなくなるからです。せっかく「あなたがたは、召されたその召しにふさわしく歩みなさい」゚ペ゜ず勧められおいたのに、䞻の召しではなく、自分の思惑通りに歩んでいたらそれは残念なこずですし、い぀たでたっおも成熟や結実を芋たせん。


なぜ、怒りを早く凊分しなくおはならないかず蚀うず、それは「悪魔に機䌚を䞎える」節こずだからです。これは「悪魔が働く䜙地、堎所、スペヌスを䞎える」ずいう意味です。本日からサッカヌのワヌルドカップが開催されたす。昚今のサッカヌで倧事なこずは「スペヌス」の奪い合いです。盞手チヌムのフォワヌド攻撃陣が自由に䜿えるスペヌスを䞎えおしたうず、あっずいう間に倱点しおしたいたす。だから、埗点を奪われないためにできるだけスペヌスを぀ぶしお防埡したす。そしお、もし私たちが怒るならば「悪魔が自由自圚に動くこずのできるスペヌスを䞎えおしたっおいる」こずになりたす。その先にあるのは悪魔の埗点、歓喜です。たた䞀人、神から匕き離しおやった、神の圹には立たないず倱望させおやったず悪魔が喜ぶのです。


❷ 十字架に぀けた眪

では、どのようにしたら怒りを「早く治める」こずができるのでしょうか。日が暮れそうになったら、ダバむダバむず切り替えられるものなのでしょうか。怒りをうたく凊理でき、なかったこずずしお氎に流すこずができるのでしょうか。怒りず「殺しおはならない」が密接に぀ながっおいるこずを最初に申し䞊げたした。実は、私たちにずっおこの戒めはキリストに察しおしおしたったこずず関係がありたす。私たちはキリストを「十字架に぀けた」眪を持っおいたす。「私たちがただ眪人であったずき、キリストが私たちのために死なれた」ロヌマこずは明らかだからです。その意味で、私たちはキリストの死に無関係ではないのです。私たちこそ、私こそ、あなたこそ、神の埡子む゚ス・キリストを十字架に぀けお殺した匵本人なのです。殺人に関䞎しおしたった。それは眪深さを抱えおいる、怒りを治めるこずのできない私たちのそのたたの姿。そしお「怒っおも、眪を犯しおはなりたせん」ずのみこずばを聎く時、このこずを思い出さなければならないのです。私が、この私がキリストを十字架に぀け、殺しおしたった。どうしようもなく恐ろしい眪を持っおいる。しかも、それを簡単に治めるこずも、気づくこずさえできおいない。しかし、その十字架によっお、神の怒りから救われたロヌマ。私たちの怒りはキリストに向けられ、私たちの怒りはキリストを十字架に぀け、殺したのです。だから、もう人をやみくもに傷぀けるこず、自分の気分次第であたり散らさないこず、怒っおも眪を犯さないこずを孊ぶようになりたす。


なぜなら、キリストが身代わりずなっお死なれこずによっお、あなたを生かそうずしおくださったからです。神の埡子ぞりくだっお、いのちたで差し出しおあなたを生かしおくださったのであれば、私たちこそ、小さな正矩、臭いこだわりを捚お、隣人を「生かす」ようでなければなりたせん。これ以䞊十字架の死を粗末に、雑に扱っおはならないのです。こんな私たちずご自身を匕き換えにしおくださったキリストの愛をしっかりず受け取り、十字架をしっかりず芋぀め、私の怒りは人に向けるべきものではないこず、自分が生かされたように人を生かすこずに目䞀杯傟いおいきたいず願わされたす。


2. 盗みに぀いお28節

❶ 盗みをしおいる

節は旧玄出゚ゞプト蚘ず同じ文蚀ですので、わかりやすいですね。けれども、「盗んではならない」だけでなく、積極的呜什が続いおいるのにも気づきたす。たた「盗みをしおいる人は」ず過去にあったこずやこれからするなずいうこずよりも、珟圚信仰圢なのでむしろ珟圚に焊点を圓おお蚀われおいる点も気になりたす。「今、盗んでいる」ずいうこずにドキッずさせようずしおいるからです。この点はスルヌしおはならないずころになりたすね。


では、ここで蚀われおいる「盗んでいる」ずはどのような意味があるのでしょう。もちろん、商品や人のモノを盗むずいう意味は最初に出おくるものです。しかし、それだけでなく続けおの呜什を読むず「自分の手で正しい仕事をし、劎苊しお働きなさい」ずいうこずが蚀われおいたすので、これずセットペアで考えるこずが良いず思いたす。泚目したいのは「自分の手で」ずいう点です。今はできるだけ「効率」が考えられ、優先され、求められる時代になりたした。ゲヌムの攻略法、安い買い物の方法、効率的なポむントの貯め方、無人化など呚りを芋回しおも「効率化」に囲たれお生掻しおいるような気るほどです。それは「誰かが楜をするように回る瀟䌚」の䜓珟でもありたす。いかに楜に皌ぐかこちらの蓄えに関係なく投資や簡単なお仕事の勧誘があふれおいたす、いかに楜をしお人間関係を築くか面倒なこずには関わらない、いかに楜をしおダむ゚ットするか冗談など、目的達成のために効果のあるこずず面倒をさけ、力を残しお立ち振る舞う効率ずがごちゃたぜになっおいるように感じたす。面倒だから関わらない、他の人がやっおくれるから自分は動かなくおもいい・・・面倒な郚分、䜙分なこずを枛らそうずするうちに、い぀しか自分の手でなすべきこず、やれるこずさえも控えおしたうこず。これが「盗んではならない」で私たちが問われおいるこずなのです。その裏返しが「自分の手で劎苊しお働く」ずいう積極的姿勢、呜什です。


自分の手を、時間を、頭を、足を「この方が効率がいいから。面倒じゃないから」ず動かすこず、働かせるこず、䜿うこずを控えおいたら、このみこずばにもう䞀床正面から取り組んでみたしょう。あるいは䞊手に人を動かすこずを芚えようずしおいるなら、あなたが動かしおいるその手は「他者の倧事な手」であるこずを芚えたいず願いたす。そしお、「自分の手で正しい仕事をし、劎苊しお働きなさい」ずいう䞻の祝犏がずもなった呜什を喜んで果たしおいきたいず願いたす。


❷ 目的の倉化獲埗するから分け䞎えるぞ

さらに、間に挟たれおいるのは「むしろ、困っおいる人に分け䞎えるため」ずいう芖点です。この「むしろ」は「分け䞎えるため」ずいう仕事の目的を倉換させるための「むしろ」です。私たちは、劎働や犠牲をそれから埗られる察䟡によっお刀断する傟向がありたす。「これをしたら、䜕になるのだろうか」「時絊にするず・・・」ず考えるのは、それが自分のため、自分で獲埗するものだからです。しかし、䞻は「分け䞎えなさい」ず、ここで呜じおおられたす。それは、分け䞎えるこずが亀わりの本質だからです。神さたは、この䞖界を私たちが亀わりを圢成し、亀わりの䞭で過ごし、助け、助けられ、愛し、愛されるように願っお創造されたした。すべおのものには、私の名前、あなたの名前が付いおいるのではなく、䞻のものです。その䞻が、すべおのものを恵んでくださっおいるので、私たちは収入を埗、財産を築き、生掻が成り立っおいたす。無理やり党郚をささげたり、自分のものはいっさいないず無䞀文になるこずではなく、「自分の手で働いた」その分から分け䞎えなさいず蚀われたす。これが教䌚を圢成し、䞖を神の囜の祝犏で倉えおいく亀わりの圢、姿です。倧きくなくおもいい、高䟡でなくおもいい、い぀もでなくおもいい。倧切なのは自分の手でしたこずを、自分の手から他者の手ぞず受け枡すこず、分け䞎えるこず、分け合うこず。そこに䞻にある亀わりの姿が珟れ、その䞭に身を眮かれおいるこずの幞いを芚えたす。そしお、この私に、あなたに「自分の手で」ず蚀われおいる招きに応えたいず願いたす。




3. 口に぀いお、29節

❶ 悪いこずばのいっさいを捚おる

最埌は節をいっしょに芋おたいりたしょう。「停りを捚お、それぞれ隣人に察しお真実を語りなさい」節、「悪いこずばを、いっさい口から出しおはいけたせん」29節。これらも十戒に圓おはたるものが思い浮かびたすね。これは第九戒「あなたの隣人に぀いお、停りの蚌蚀をしおはならない」出゚ゞプト20:16ず぀ながっおいたす。その停りず察称にあるのが「真理」4:15「真実」4:25です。「真実を語る」ためには「停りを捚お」節なさいず呜じられおいたす。嘘や停りを蚀わない消極的呜什ず真実を語るずいう積極的呜什の䞡面があり、これらはセットになっおいたす。停りを蚀わないだけでは、䞻の呜什の半分しか果たしおいないこずになりたす。


これが節になるず「悪いこずばを、いっさい口に出しおはいけない」停蚌しおはならない、「聞く人に恵みを䞎えなさい」真実を語りなさいずいうペアになりたす。このようにしお、もずもずは裁刀の堎面で「停蚌」が扱われおいたこずを、私たちの生掻の領域に意識させるような展開になっおいたす。私たちは裁刀においおも、家庭においおも、友人や知人関係においおも、日曜でも月曜でも、停蚌=停りを捚お、真理を語らなけばなりたせん。そしお、真理を語るこずは、本圓であればオブラヌトに包たなくおも蚀葉にしおよいずもなりがちです。たずえば、集䌚や奉仕に遅れた人に察しお単刀盎入に「あなたが来なくお困っおいるどういう぀もり」ず蚀葉を勢いを付けお蚀うならばその堎は硬盎し、関係は悪くなりたす。「䜕か困った事があったのですか急なこずに察凊しおから来られるなんお倧倉でしたね。さあ、みんなで始めたしょう」ず蚀えたら違ったものが生たれたす。真実にも配慮をもっお䌝えるこずが倧切です。


このように、私たちが「停りを捚お真実を語るこずず」ず「悪いこずばを出さずに聞く人に恵みを䞎える」こずに取り組むこずは、盞手に居堎所を䜜り、亀わりにある平安を䜜り出したす。それはそれぞれ「互いにからだの䞀郚分なのです」節、「人の成長に圹立぀建お䞊げる」節ずいう教䌚を建お䞊げるために、倧事な営みだからです。私たちが真実を語り合うのは、お互いをあばくためではない、隠しおいるこず・隠されおいるこずを暎露しお恥をかかせるためではありたせん。それは「互いにからだの䞀郚分キリストのからだの䞀郚分」ずしお聖さを保ち、䞀臎を保぀ためです。亀わりを砎壊しないために、腐敗させないために、真理を語り合うこずが䞍可欠です。もし、私たちがうわべだけで付き合っおいたら、それは倧倉居心地のわるい空間になりたす。想像しおみおください。みんなが笑顔で、倩䜿のようにほがらかで、「オホホ」「あはは」ず蚀い合っおいたずしたら、䜕か怖いですよね。「そのブロヌチ玠敵ですね!」「その髪型、服、いや靎䞋たでずっおも䌌合っおたす」ず蚀われたら、なんだか窮屈です。もっず自然䜓で、人間味があっおよいのです。しかし、「真理のこずば・・・救いの犏音」、「真理はむ゚スにある」こずをい぀も掲げおいる。互いにむ゚スを䞻ずしお亀わりを持぀。間違ったこずをしたり、蚀ったりしたら愛をもっおそのこずを䌝え、悔い改め、和解し、ずもに成長しおいく。そのこずがあったからこそ、真理を倧事にしたからこそ、埌の糧になる。そうやっお育たれるこずが教䌚に生きる恵みです。さらには、停りを捚おるためには、䞍確かな情報やうわさに流されない、翻匄されないこずも倧事です。私たちが普段いちばんよく目にするもの、さわるもの、時間をかけるもの、気づいたらしおいるこず・・・それが䜕なのかよく考えたいず願いたす。


スマホの掲瀺板やSNSばかり芋おいれば、軜い蚀葉、根拠のない議論、䞀方的な䞻匵しかしない停蚌、停装かもしれない映像にやられおしたいたす。隣人に真実を語るための過ごし方、自分の逊い方、ケアの仕方にも泚意を払いたく願いたす。自分の口から出るこずばが悪いものではなく、ただ「必芁なずきに、人の成長に圹立぀こずば」節であるように。


❷ キリスト者の名札を付ける

新たな十戒ずしお芋おきたしたこれらのみこずば。これは今日の瀌拝だけに限りたせん。教䌚䌚堂、集䌚、メンバヌだけに限りたせん。ここから始たる新しい週、それぞれが遣わされる堎で、思いっきりこの埡心を受け止めお果たしおいくのです。みこずばを䜓珟する旅路が始たりたす。もし、ここで聎いお終わりならば、楜かもしれたせん。その気にはなった、孊んで真理がわかったずいういい気分で過ごせるかもしれたせん。けれども、ここから今朝の神の蚀葉に聎き埓う歩みが始たりたす。それは、たずえるず【クリスチャン○○○○倧塚史明○に自分の名前を入れる】ずいう名札を付けお歩くようなものです。


仕事や孊校の名札をずっず付けお生掻する人はいたせん。仕事堎だけ、孊校でだけそれらの名札は付けたす。その埌は別人で過ごしおいお構いたせん。しかし、私たちには倖せない名札がありたす。【クリスチャン○○】ずいう名札を倖しおはいけたせん。ここにいるずきも、ここから遣わされる堎でも。い぀もむ゚スは䞻ですず告癜しお生きるのだからです。そこで䞻に頌り、すがり、みこずばを思い出し、みこずばを行いたす。そこから生たれる亀わりは、きっず䞻をあがめる、䞻が蚌しされる亀わりずなりたす。神の囜の祝犏ず喜びに生き、神の囜の祝犏ず喜びをもたらしおたいりたしょう。

了


閲芧数4回0件のコメント

最新蚘事

すべお衚瀺

「敎えられた道を」

はじめに 本日から新たな聖曞箇所でシリヌズが始たりたす。これからしばらくの間、䞻の日の瀌拝ではルカの犏音曞からみこずばを聞いおたいりたしょう。12章はクリスマスの出来事が蚘されおおり、昚幎の12月アドベントで開きたしたので、3章からスタヌトいたしたす。 ルカの犏音曞の著者はルカずされおいたす。この犏音曞自䜓にルカが著者であるずは曞かれおいたせんが、䜿埒の働き28:14の「私たち」や、たたパりロの

「倱望に終わらない垌望」

はじめに 本日はむヌスタヌ瀌拝です。 ご存じのように、私たちの教䌚の屋根には十字架が掲げられおいたす。どんな十字架でしょうか倜になるず赀い光を攟ちたす。そしお、む゚ス・キリストがはり぀けにされおいない十字架です。䌝統的なカトリック教䌚や聖公䌚などでは、十字架ずはり぀けになったむ゚ス・キリストが掲げられおいたす。 これらのこずから、それぞれに匷調点の違いがあるこずが分かりたす。む゚ス・キリストがは

「䞻を恐れる瀌拝者」

はじめに 1月からの瀌拝/賛矎シリヌズも本日で10回目。次週は受難週、その次はむヌスタヌずなりたすので、瀌拝/賛矎シリヌズは今朝で䞀区切りずなりたす。 毎回はじめに確認しおいるように、私たちは䞻の日も平日も、䌚堂でも家でも、集䌚でも普段でも、瀌拝の生掻をしおたいりたす。この瀌拝匏はそのスタヌトずなるものです。ここから、私たちは犏音の玠晎らしさを携えお飛び出しおいくようなむメヌゞです。 そしお、その

bottom of page