「神から始める人生」
- 大塚 史明 牧師

- 2025年9月7日
- 読了時間: 9分
聖書 士師記6章7-16節
士師記について
今朝は「士師記」を開いています。「士師=さばきつかさ」とも読むこの書物は、ヨシュアの死後から約365年間に、イスラエルで用いられた人物の記録が収められています。「さばきつかさ(=Judes)」はこの時代のリーダーです。士師記には12人のリーダーが記録されていますが、いずれの人物にも欠点や失敗のあったことが書かれています。普通、リーダーの伝記には軽べつされるような失敗や性格的な欠陥、家族間の問題は省くものです。しかし、この士師記(そして聖書)には、たくさんの罪や失敗の記録が隠されずに記録されています。なぜなら、大切なのはこれらの人物の偉大さではなく、愚かな人を用いることのできる偉大な神を知ることだからです。
この書によく出て来る表現は「そのころ、イスラエルには王がなく、それぞれが自分の目に良いと見えることを行なっていた」(17:6,18:1,19:1,21:25)です。最後もこの文章で結ばれています。「自分の目に良いと見えることを行う」とは、神なしで判断していくことです。人の目には勇ましく見えるかもしれませんが、それは誘惑に押されて罪を犯したアダムとエバの姿とも重なります。人は「自分の目」にどう見えるかよりも、「主の目」にどう映っているのかを繰り返し尋ねないと必ず脱線します。世の中に混迷と争いが絶えないのは、国の指導者が「自分の目」に頼っているためであり、それは今の時代にもそのまま通じています。まことの神に従うことを敬遠する時代、それは現代も同じです。神の目よりも自分の目を正しいとする時代、神のことばよりも自分の考えを重じる時代、平和よりも危機が迫るこの時代だからこそ、人の知恵ではなく神の知恵によって生きるために、この書からみことばを聞きたく願います。
1. 聞いておられる神
6章に出て来る「ギデオン」は、イスラエルが敵国ミデヤン人に7年間も征服されていた時代に生きた人物です。このとき、ギデオンは「酒ぶねの中で小麦を打って」(6:11)いました。「酒ぶね」は、ぶどう酒を作るために実をたくさん入れて踏みつぶす作業場であり、すり鉢状の大きくくぼんだ場所です。ギデオンは自分が敵から見えないように、隠れて仕事をしていたわけです。反対に、脱穀の作業は高い丘の上に立って小麦を打ち、もみ殻が飛んでいくように作業をしなければなりません。
きっとギデオンは、敵の標的になるかもしれない丘の上での脱穀ではなく、敵から隠れることのできるくぼみでの作業を選んだと思われます。
危機には関わりたくない、問題にはできるだけ巻き込まれたくないと願うのは、私たちにも共通する思いですね。難しい人とはできるだけ距離を取りたい、面倒な事柄はやんわりと断ったり、スルーしたい。それが人間の自然な思いだからです。しかし、そこに「主の使いが来」ました。逃げ隠れしては、問題の解決にならないからです。それで、神はあえてギデオンを訪れ、その名前を呼びに来られました。
神がギデオンのもとを訪れたのには、きっかけがありました。それは「イスラエルの子らが・・・主に叫び求めた」(6節)からです。6章初めから読むと、神への背信を繰り返し、他国に襲われ荒らされた果てに「叫び求め」ていることが分かります。まるで苦しいときの神頼みのようですが、神はその叫びに応えてくださるのです。私たちは、神が普段から慎ましく祈る者の声だけを聞くのではないことに驚きます。いつもおとなしく、冷静でいられない者にとっては大きな慰めでもあります。神は、いつでも私たちの声、叫びを聞いてくださいます。そして単に聞くだけなく、そうした者をご自身に引き寄せるため交わりを持ってくださいます。今、遠く離れていても、今まで神を忘れていても、声に出すのが面倒に感じていても、今、神を呼び求めましょう。主なる神がそれを聞いて、あなたを神を知る者へと変えてくださいます。
2. 励し続ける神
ギデオンは、主の使いを待ち構えていたわけではありません。敵が来るのを予想し、隠れて小麦を打っていたのです。そんな彼を、神は「力ある勇士」(12節)と呼ばれます。「だから聖書はわからない。どうもしっくり来ない」と言われるような箇所です。ギデオンも同じ思いだったようです。すぐに「主よ。エジプトからイスラエルを救ったのはとうの昔。今、私たちは捨てられ苦しんでいます。あの救いの神はどこにおられるのですか?」(13節)と口をとがらせて反論しています。さらに次のやり取りで、主に、「イスラエルを救え。わたしがあなたを遣わす」と言われたときも「私の氏族はもっとも弱く、私は一番若いのです」(15節)と答えました。役目を受けるのに自分はまったくふさわしくない、という言い訳です。言い訳や口答えは互いの交わりを破壊するものです。
「ねえねえ、ちょっとお願いがあるんだけれど」「無理」。「君って何でもできるよね。賜物にあふれているよね」「いえ、全然だめです。他の人を当たってください」。こんな風に言われたら、それ以上交わりは続きません。
けれども、今朝の個所を読むと、神はイスラエル人の叫び声やギデオンから言い訳を聞かされても、それらを受け止め、交わりを持ち続けてくださいます。それは、神が私たちの心や思いを汲み取ってくださる方だからですね。神は決して私たちに用事だけを伝えたい、命令に従わせたいと思ってらっしゃるのではありません。事務的な会話だけをしていると、家族や親子、知人との関係はうまくいきません。「あれ取って」「はい」。「これについてはどうする?」「A案にしよう」。これでは仕事はできても、交わりは成立していません。交わりがなければ、関係は深まることがありません。なぜなら、お互いに気持ちを理解しよう、聞き取ろうとしていないからです。それで、仕事や用事は伝えることができても、心が通じ合わず、なんだか寂しく、冷たい関係になってしまいます。
この個所を読むと、神は私たち人間と用事を済ませられる関係でいればいいとは思ってらっしゃらないことがわかりますよね。ギデオンのように逃げ隠れている者のところにも訪れてくださるし、「何で今こんな状況なんですか?出エジプトの奇跡のようなことをしてくれないんですか?」という率直な思いも受け止めてくださるし、「私なんでダメです。家柄も最悪です」とすねているセリフも聞いてくださっています。神は、私たち一人ひとりと交わりを持ちたいのですね。今、何に悩んでいるか。今、どんなことに取り組んでいるか。最近、悲しかったことは何か。頑張っていることは何か。神は、私たちと交わりを持ちたいのです。私たちのことを理解したいのです。
もちろん、神は全知全能ですから、一人ひとりの、どんなことでもご存知です。しかし、あえて人間のもとを訪れ、ノックし、交わりを始めてくださいます。今朝はギデオンがたくさん反論や言い訳をしています。なぜ神は、もっと素直に言うことを聞く人のところへ行かなかったのでしょうか? 神は、もっとスムーズに物事を運ぶことのできる人物に当たらなかったのでしょうか。なぜ、わざわざ面倒なことを言うギデオン、隠れて用意のできていないギデオンのもとを訪れたのでしょうか。
そうですね。もし神が、ご自身の言うことを素直に聞く人間だけを対象にされるとしたら、声をかける者がいなくなってしまうからです! 人間は頑なで、自分の都合でしか神を求めず、大変な時にしか神に近づかないからです。困った時だけ聖書を読んだり、ピンチの時だけ祈り始めたりするのが人間です。しかし、そういう者を省いていては、世のだれも神からお声をかけていただくことはできません! 神との交わりは、神の選びとあわれみによって選ばれ、始まるのだからです。それゆえ、神はギデオンのこともあなたのことも放り出さず、どんな口答えをしても交わりを持ち続けてくださいます。この方の忍耐によって、私たちは幾度となく励まされ、立ち上がることができるのです。神は、あなたを誰よりもよく知る方であり、誰よりも正しく評価し、誰よりもあなたに時間を費してくださる方です。
3.遣わす神
神がギデオンを訪れた理由は、ただ声をかけ、励ますためだけではありません。「あなたを遣わす」(14節)ためです。ギデオン自身は隠れていたにも関わらず、交わりを経て、「行け、あなたのその力で」(14節)と言って送り出してくださいます。「あなたのその力で」とは自力や自信などではありません。そうではなく、神がこのような私ともともにいてくださり、これから神の計画のために私を遣わそうとしてくださる。その計画も責任もいっさいは主なる神が握っていてくださる。そんなまったく新しい生き方へと送り出してくださるのです。逃げ隠れていた姿とは正反対です。
ここで思い出していただきたいのは、神が樫の木の下からギデオンに発せられた第一声です。それは何だったでしょうか。
「力ある勇士よ」(12節)。
勇士は王の言葉を揺るぎなく信頼し、命をかけることのできる者です。勇士とは、目の前に迫る敵や危険、問題から逃げ隠れせず、恐れずに立ち向かう者です。神は初めからギデオンを「力ある勇士」と見ており、実際にそう声をかけられました。問題と自分を比較して自己否定したり、自分の姿を見て自己卑下したりするのと、神があなたをご覧になるのとでは全く違います。実際、ここでは隠れていたギデオンを、神は勇士と呼ばれました。真実なのは、ギデオンの見方や感じ方ではなく、みことばです。
「あなたのその力で・・・わたしがあなたを遣わすのではないか」(14節)。
「わたしはあなたとともにいる」(16節)。
「力」は自らではなく注がれる神の霊を受け取ってこそ与えられ、あふれてくるものです。私たちの教会は、秋もさまざまな働きをします。今週からのめぐみイングリッシュクラス、来月に控えるコンサート、講演会など。それらは、神から力を受け取らないとできない働きです。そして、神は、この教会にも多くのギデオンを備えてくださっています。
その勇士とは「ええ、どうしよっかな~」「時間があったらやろうかな」「もう少し忙しくなくなったらちょっと手伝おうかな」「私は無理。スルーして黙っておこう」と考えておられる方かもしれません! 神はこういう者たちを訪れ、つぶやきを聞き、その上で力を注ぎ、神の働きに召して、遣わしてくださいます。そうして取り組む福音宣教の働きは、もはや自分自身の考えや力によるものではないので、さわやかに割り切ることができます。「これは、神さまがやりなさいと言っておられる働き」「私には無理だけど、神さまが力をくださる」。こうして、神中心の教会へと成長していけるのではないでしょうか。
反対に、「主があなたとともにいる」ことを見失うならば、私たちは臆病になり、現実に押しつぶされ、気力を失ってしまいます。
誰があなたの味方でしょうか。どれだけの愛の力を持った方があなたと共に歩いておられ、励まし、助けを与えてくださるでしょうか。逃げないで信じ、恐れないで踏み出しましょう。計画も結果も、あなたの考えを越えた神が備えてくださっています。

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