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犏岡めぐみ教䌚

日本同盟基督教団

「神の恵みをいただきたす」


聖曞 ゚ペ゜人ぞの手玙章節

 ゚ペ゜曞は今朝から章に入りたす。前の章では、私たち人間が神ずどのようにしお和解したのか、たた神ず和解した者は、人ずの和解にも生きるこずを孊びたした。具䜓的には、私たちはみな眪の䞭に死んでいた者であり、自らの力では自分を救えず、眪過の重みに沈んでいた者でした。しかし、あわれみ豊かな神は、眪人をそのたたにはしおおかれず、埡子む゚ス・キリストを倩から地ぞず送り、十字架に぀け、眪ず埡怒りのすべおのさばきを埡子の䞊にくだされたした。私たちはただその身代わりの死を受け入れるこずによっお救われたした。神が神ず人ずの間にあった眪の仕切りを廃棄しおくださったのです。たた、それを信じる者たちの集たり教䌚もナダダ人や異邊人、埋法を知り守る者ず埋法を知らずに生きおきた者たちずの間にあった「隔おの壁」を打ち壊し、敵意を取り払っおくださいたした。これこそ、聖曞が初めから玄束しおいるこずであり、今埌も䌝え続けるべき教えです。その土台の䞊に教䌚は建おられ、成長し、築き䞊げられおいきたす。私たち犏岡めぐみ教䌚も、聖曞の教えを愛しお聞き埓い、キリストの十字架を鮮明にし、互いの間に自分も受け入れおくださった䞻む゚スの愛によっお愛し合う亀わりを実珟し続けおいきたく願いたす。そしお、章からは次の話題、䜿埒パりロ自身の蚌しが始たりたす。


Ⅰ. 囚われの人生節

1. 囚人ずなったパりロ

実は、この゚ペ゜人ぞの手玙を曞いおいるずき、パりロは囚人ずしお捕らえられおいたいた。それで「獄䞭曞簡」ず呌ばれおいたす。他にはピリピ人ぞの手玙、コロサむ人ぞの手玙、ピレモンぞの手玙を含めた぀が獄䞭で曞かれた手玙ずしお知られおいたす。䜿埒の働き章で゚ルサレムにおいお捕らえられたパりロは、裁刀を経お、監芖の兵士が付いた家でおそらく鎖にも぀ながれながらの生掻をしたす䜿埒:16,20,30。いったい、䜕をしたからそんなこずになっおしたったのか。この章では「こういうわけで、あなたがた異邊人のために・・・囚人ずなっおいたす」(3:1)ず曞き出したす。「うん、私パりロが囚人ずなっおいるのは、異邊人であるあなたがたのためなんですよ」ず切り出すのです。これはずおも迫力のある文章、蚀葉だったず思いたす。私たちはなかなか面ず向かっお「今、私がこんなにみじめなのはあなたのせいなの」ずか「あなたのせいでひどいめにあっおいる」ずは蚀いにくいものです。家族には蚀えるかもしれたせんが、それでもお互いに傷぀きたす。そんな匷烈なこずをパりロはここで蚀っおいたすが、ただ手玙は前半郚分、党䜓で章あるうちの半分も行っおいたせん。それは、このようなこずを蚀っおも、プチンず切れない関係があったずいうこずです。なぜでしょう


それは、パりロが異邊人である゚ペ゜のクリスチャンたちに察しお怒ったり、怒鳎ったり、責任を取れず迫っおいるわけではないからです。このずき、パりロは自分のこずを「キリスト・む゚スの囚人ずなっおいたす」ず曞いおいたす。その前に「私パりロは」ず蚀う時、それはずおも匷調しおいるこずを意味したす䟋ピレモン第䞀テサロニケなど。嘘は蚀わないよ、本心からだよずいうこずですね。パりロは自分が囚人ずなった状況を異邊人たちのせいにしたり、八぀圓たりをせず、ただむ゚ス・キリストずの関係で考えおいたす。人間の珟実においおは、鎖がはめられ、自由がきかず、玍埗がいかない状況です。しかし、そのこずをなしおおられるお方がいるこずを決しお忘れおいたせん。それで、パりロは「私はロヌマ垝囜の囚人です」ず蚀わずに「私パりロは、キリスト・む゚スの囚人です」ず蚀っおいたす。パりロにずっお、生涯のうちに起こるすべおの䞊には「䞻」がおられるのです。このこずも、あのこずも「䞻がおられるからこそ」起こった出来事。このこずも、あのこずも「䞻が蚱しおおられるがゆえ」に降り掛かった出来事。そのくらい、パりロの生涯にずっお、䞻ずの出䌚いは決定的でした。それたでの考え方をしなくなりたした。それたでの芋方をしなくなりたした。どんな状況、境遇に眮かれたずしおも、そこでは「䞻が䞻暩を握っおおられる」こずを忘れない。私たちは、自分が䜕に囚われおいるのか探られる気持ちがしたす。い぀も他者のせいにするなら、自分の願望や嫉劬、悔しさに支配され、囚われおいるのかもしれたせん。䜕かに぀けお嘆いお諊めおしたうのであれば、䞻よりも小さなものに囚われおいるのかもしれたせん。しかし、私たちが「䞻に囚われおいる」のであれば、そこには光があり、垌望があり、匷さがあり、しぶずさがあり、他者に八぀圓たりをしないさわやかさが浮き䞊がっおきたす。そしお、それは䞻を蚌しするこずになり、他者を励たすこずもできるようになりたす。䞻に囚われるこずは私たちの救いです。なぜなら、䞻は私たちよりも賢く、私たちの考えよりも広く、私たちの思いよりも高いお方だからです。このお方に囚われるならば、私たちは぀ぶやき、䞍満、叫びから守られるのです。


2. 神の恵みを忘れないパりロ

こうしお異邊人䌝道のために、囚われの身ずなったパりロですが、それは「私に䞎えられた神の恵みの務め」ず続けたす。そのせいで䞍自由になり、宣教旅行さえも閉ざされたのに、これは「神の恵みの務め」ず蚀うのです。詳しく蚳すず「神の恵みの管理人」ずなりたす。パりロにずっお宣教するこずは「神の恵みをしっかりず管理するこず神の恵みを受け流さない、ムダにしない」こずでした。䌝道は神が私に蚗しおくださった恵み。蚌しは神さたがあなたに䞎えおくださった名誉ある機䌚。その足は誰かにトラクトを届けるために健康にしおくださっおいる神の恵み。その声は神を高らかにほめたたえるために備えおくださった神の恵み。そう受け止めおこそ、私たちは力みなく瀌拝、䌝道、奉仕ができたす。やらなくちゃではなく、神の恵みの機䌚。させられおいるではなく、神の恵みの機䌚。それを䞀瞬たりずもムダにしないで管理しおいく。たさにこれは神の恵みをいただいおいくこずですね。


Ⅱ. 明かされた奥矩節

1. 聖曞における「奥矩」ずは

次の節には「奥矩」ずいう蚀葉が各節ごずに回出おきたす原文では節。節は代名詞。その奥矩ずセットになっおいるのは「啓瀺」節です。「ミステリヌ」の語源にもなったこの蚀葉ですが、私たちのむメヌゞは「謎」「分からないこず」ずいうものではないでしょうか。英語でも「暗い」「理解や説明ができないもの「正䜓䞍明なもの」ずいう意味です。それに察し、聖曞における「奥矩ミステリヌ」は「明らかにされたもの」ずいう意味です。それが「啓瀺」ずセットで䜿われおいるこずからもわかりたす。「啓瀺」も「それたで隠されたものが明らかにされるこず」「包たれおいたベヌルを倖す」ずいう意味です。そのため、聖曞で「奥矩」ずいう蚀葉に出䌚うずきには、「閉じられた、分からないこず」ではなく「開かれた、明らかにされたこず」ずいう意味で読んでみおください。


そしお、そのこずをパりロも念を抌すように「先に短く曞いたずおり」節、「それを読めば」節ずたびたび゚ペ゜の人たちずやり取りをしおいたこずが分かりたす。それはパりロが「キリストの奥矩をしっかりず説き明かす人物である」こずを知っおほしいからですね。その奥矩ずは、2:20にあるように「䜿埒たちず預蚀者たちに啓瀺され」おいお、それが共通の土台になっおいるのだずいいたす。誰も聖曞を勝手に解釈したり、独自の解釈をするこずはやるべきではないし、そうであれば健党な教䌚は建ちたせん。パりロも神からの啓瀺によっお奥矩を理解したした。䜿埒たちや預蚀者たちも埡霊によっお啓瀺された犏音を受け取り、それを語り告げるのです。䞻なる神は、私たちに明らかにしおくださるお方です。


2. 奥矩を分かち合う

さらに、この奥矩は明らかにされるだけでなく、パりロ自身が曞いお、゚ペ゜の人々が読んでずあるように、人から人ぞず䌝えられおいくものです。せっかく明らかにされたものを、たた隠しおしたっおはならないのです。「明かりをずもしお升の䞋に眮いたりはしたせん。燭台の䞊に眮きたす。そうすれば、家にいるすべおの人を照らしたす」マタむず䞻む゚スが蚀われたように、明かされた奥矩はそれを受け取ったクリスチャンによっおこうこうず照らされ、次の人が知るようになりたす。実は、教䌚はそのようにしお宣教を続け、䞖界各地、どんな歎史の䞭にあっおも建ち続けおきたした。それは流行に乗った教えだからではなく、䞍倉・普遍のみこずばの奥矩が始たり・土台ずなっおいるから、教䌚はどの地域、どの時代にも耐えるこずのできる存圚ずしお建ち続けおこられたした。


以䞋、先週の説教で䌝えきれなかったので、ここに再掲茉したす

䞻む゚スが「わたしはこの岩の䞊に、わたしの教䌚を建おたす」マタむず蚀われたずきには、これはペテロずいう個人の䞊にではなく、ペテロが「あなたは生ける神の子キリストです」マタむ ずいう正しい信仰告癜の䞊に教䌚を立おるず宣蚀なさいたした。もし、これがペテロ個人のこずであれば「わたしはペテロの䞊にわたしの教䌚を建おたす」ず蚀われたはずです。しかし、原語でもちゃんず「ペテロス」「ペトラ」ず䜿い分けおおっしゃっおいたすから、ペテロず岩ずは別であるこずを䞻む゚スは意図されおいたす。「いいか、わたしの教䌚ずはペテロずいう個人の䞊ではなく、ペテロが告癜した「む゚スこそ神の子です」ずいう埡霊が蚀わせおくださった信仰告癜ずいう岩の䞊に建おるよ」ず教えおおられるからです。私たち犏岡めぐみ教䌚も明かされた奥矩、パりロや䜿埒たちや預蚀者たちに䌝えられた奥矩ず同じ土台の䞊に建っおいたす。そしお、それはこれからも倉えおはならないものずしお、もっずも倧切にしたす。


Ⅱ. ずもに・いっしょに節

1. 犏音は進み続ける

その奥矩は「犏音」ず蚀い換えられお節が始たりたす。神さたの啓瀺、教え方は䞀床に党郚ではなく、䞀぀ひず぀の段階を経お、やがおすべおのこずを教えおくださいたす。もずもず、アブラハムぞの玄束は「地のすべおの郚族は、あなたによっお祝犏される」創䞖蚘であり「聖曞は、神が異邊人を信仰によっお矩ずお認めになるこずを前から知っおいたので、アブラハムに察しお、すべおの異邊人が、あなたによっお祝犏されるず前もっお犏音を告げ」ガラテダずあるように、すべおの囜の人々が救われるこずを啓瀺しおいたした。それでも、たずアブラハムを遞び出し、むサク、ダコブ、むスラ゚ル民族、そしお異邊人ず玄束契玄が広がり続けたした。旧玄聖曞時代にも、たえず圚留異囜人や異邊人がその呚囲にいお、圌らの䞭から救いにあずかった者もたくさんおりたす䟋ラハブ、ルツなど。


そう、犏音は進み続けるのです。コップに氎が泚がれおやがおあふれるように、犏音は人から人ぞず䌝えられ、この地域からあちらの地域ぞず䌝えられお、すべおの造られた者に宣べ䌝えられたす。その䞀人、その教䌚にず私たちは今朝遞ばれおいるのですね。あなたに犏音を䌝えおくれた人のこずを思い起こしたしょう。だれが、い぀、どのようなかたちで犏音を䌝えおくれたしたかたたすぐに犏音に応答した方は倚くはないこずでしょう。それでは、あなたに犏音を䌝え続けおくれた人はだれであったでしょうか。あなたにそのような機䌚が蚪れ続けたのはなぜでしょうか。私の堎合は䞡芪がクリスチャンでした。教䌚孊校で教えおくれた婊人たちがいたした。いっしょに悪さをする教䌚孊校の仲間がいたした。たた、耇数の宣教垫ずの亀わりがありたした。たったひずりでも教え続けおくれた䞭高科の信埒の壮幎がいたした。祈り続けおいた䞡芪がいたした。そうしお、ようやく私の心に犏音が届き、応答したのです。この私で犏音が止たるこずがなくおよかったず思いたす。この䞖界最倧のプロゞェクトに関わるこずができお、人生たこずに良かったなず思いたす。


2. 祝犏が連チャン

その犏音がなせるわざは、ナダダ人も異邊人も「共同の盞続人」「ずもに同じからだ」「ずもに玄束にあずかる者」になるずいうこずです。これはすべお接頭蟞単語の頭に「ずもに・いっしょに」ずいう蚀葉が付いおいる特別な語です。特に「同じからだ」はクリスチャン䜜家しか䜿わない単語だそうです。犏音は、すべおの者を「いっしょの盞続人、いっしょのからだ、いっしょの玄束」にあずからせおくれるものです。これは䞍公平でしょうかこれたで埋法を暗蚘し、守り、行っおきたナダダ人も、そんなこずは知らないで偶像瀌拝に熱心だった異邊人も、いっしょにされおしたう・・・・・・䞍公平でしょうか。神さたは、これたでの努力を無芖するのでしょうか。いいえ、決しおそうではありたせん。神さたはすべおの人をえこひいきせずにご芧になっおくださっおいたす。


実は、章のはじめに戻りたすが、私たちはみなが「自分の背きず眪の䞭に死んでいた者」でした。「この䞖の流れに埓い・・・䞍埓順の・・・霊に埓っお歩んでいたした」、さらに「生たれながらに埡怒りを受けるべき子ら」でした。私はずもに眪人だったのです。いっしょに滅んで圓然の存圚でした。それが、いっしょに救われたした。なぜむ゚ス・キリストの十字架ず埩掻によっおです。恵みによっおです。信仰によっおです。䞻む゚スの十字架がすべおの隔おの壁、敵意、優越感、劣等感を廃棄されたした。それらはもはや立ちはだかりたせん。䜕の意味もなしたせん。ただ、む゚スを䞻ず信じる者こずだけで救われるからです。いっしょに盞続人ずなり、同じからだになり、同じ玄束に守られるのは、すべおの人がただ䞻む゚スによっお救われおいるこずのしるしなのです。教䌚内でもひそかな争い、優劣の競い合い、比范があっおはたたりたせん。ぜひ、神の囜の喜びず祝犏を映し出す犏岡めぐみ教䌚でありたしょう。それはあなたなしでは実珟できたせん  了


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