top of page

「神観を養う営み」

◆聖書を読んでいると、疑問を感じる個所に当たることもあります。ヨセフは仕えていた主人の妻の虚言によって捕らえられ、モーセはエジプト人を打ち殺しても逃亡生活が守られ、ソロモンには王妃と側女合わせて千人を持ち偶像礼拝へと陥落し、ヨブは天災で家族や財産を失ったりしています。必ずしも悪人が罰を受け、善人が報われる世界線が保たれているわけではありません。そうしたとき、私たちは「神さまがおられるなら、なぜこんなひどい世界を」という疑問や「苦しみから救わない神なんて信じられない」と抗議をぶつけたい気持ちにもなります。

◆そんなときは、「私の神観」が再構築されていく機会だと受け止めてみてください。たとえば、自然災害が猛威をふるうときには「この世界は絶対に安全であるべきだし、神がいるならそうすべき」と考える神観が問われているのです。あるいは、努力して報われないときには「私の努力に100%報いるべき神」を考えていたのかもしれないと気づかされます。「人を苦しみから救うのが神だ」というのは間違っているわけではありませんが、それが神のご性質すべてではないことも聖書は教えています。

◆神には天地万物を造られた創造主という面もあり、人に不快なことをいっさいしないという制約や義務などはありません。この面から神観を養おうとすると、神が人間のご機嫌取りやお手伝いではなく、私たちが神の主権を認め、神に仕えることを学ぶ契機が訪れていることを知ります。私たちの人生には不可解なことや理不尽なことで満ちています。私たちに心地よい神観だけを抱いていると、神に見放された人生だと嘆くしかありません。そこでしぶとさが芽生えてくるのは、すべてを働かせて益とされる神観にその身を置くことです。

最新記事

すべて表示
「主の祈りについて」 

本日の礼拝から「主の祈り」を数回にかけて学びます。イントロダクションとして少しこのコラムでも記します。弟子たちが「私たちにも祈りを教えてください」と尋ねたとき、イエスさまが教えられたのが、「主の祈り」です。この祈りには、神を敬う心、毎日の生活への感謝、そして自分の心を守るための願いなど、大切なものが詰まっています。なかなか祈り出せなかったり、気分がふさぎ疲れたときにの手引きともなります。  日本語

 
 
 
「天へと視線を向ける」 

「 人とは何ものなのでしょう。あなたが心に留められるとは。人のとはいったい何ものなのでしょう。あなたが顧みてくださるとは。」(詩篇8:4)。 神さまは私たちを神と隣人とを愛して生きるように造られました。しかし、私たちは視線を自分自身にだけ集中させがちです。本来、人は天を見上げて生きるように造られているのに、地上のことに埋もれて生きてしまうことが、苦しみもがく原因の一つです。天に視線を向けるとは、す

 
 
 
「福音を聞き、知らせる」

イギリスのロンドンにウェストミンスターという教会があります。その墓地にある墓石には次の文が刻まれているそうです。 「まだ若く、自由で、限りない想像力を持っていたころ、私は世界を変えることを夢見ていた。成功して知恵がつくにつれ、世界が変わることはないだろうということが分かり、視野をやや狭めて、自分の国だけでも変えようと決意した。しかし、それさえも変化のないように思えた。晩年になって、最後の必死の試み

 
 
 

コメント


福岡めぐみ教会

日本同盟基督教団

Fukuoka Megumi Church

日曜礼拝

 歓迎主日礼拝 10:30am-12:00pm

お問い合わせ

〒819-0041
福岡県福岡市西区拾六町1-22-19

メールはこちら

​電話番号は0922042386

© 2014 by Fukuoka Megumi Church. Proudly created with Wix.com

bottom of page