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犏岡めぐみ教䌚

日本同盟基督教団

「闇から光ぞ」


聖曞 ゚ペ゜人ぞの手玙5章節

Ⅰ. ふた぀の生き方節

 1.  闇の䞭でうごめく

聖曞は神ず人ずの出䌚いに満ちおいたす。初めに造られたアダムず゚バ。その出䌚いぱデンの園でした。倩ず地のすべおが非垞に良いものずしお造られたその最埌、創造の冠ずしお人は登堎したす。「生めよ。増えよ。地に満ちよ」創䞖蚘ず倧いなる祝犏ず䜿呜を受けお始たった出䌚い。゚デンの園ではすべおの実がなった状態で眮かれ、そこを耕し、守り、収穫を感謝し、神を瀌拝しお生きる道を瀺されたした。ただ、園の䞭倮の朚からだけは食べおはならない神がすべおを支配しおおられるこずを芚えよずの蚀葉を聞きはしたしたが、埓うこずができず堕萜したす。その埌、神ず人は朚の間に身を隠したずころで出䌚いたす創䞖蚘。光の䞭で創造され神を喜び、䜕も隠す必芁のなかった舞台から転萜し、神に芋られるこずを恐れ、人は互いに隠し合い、疑ったり恐れたりしながら生きるようになりたした。


今朝の個所でもそのこずを「闇」ず蚘しおいたす。ただし「あなたがたは以前は闇でした」ずあるように、「以前は闇闇ずは過去のもの」ず教えおいたす。神は、堕萜した人ずもう䞀床出䌚っおくださるお方です。しかも、こちらから頌み蟌んで䌚っおもらうのではなく、神の偎から闇の䞭にいる人間を捜し、救い出そうず願っおおられるお方です。


この「闇」は個人的なものず瀟䌚的䞖界ずの䞡方で知るこずもできたす。

「個人的な闇」は「ひそかに行っおいるこずは、口にするのも恥ずかしいこずなのです」ず続けられおいるように、私たちそれぞれの胞の内にあるごみ溜めのような汚い思いがうごめいおいる珟実です。だれもこのうごめく闇、眪から自由な人はおりたせん。衚情では笑っおいおも奥偎で無理をしおいる、平静を保っおはいおも内偎では怒りに震えおいる、関心を寄せおいるようで本圓のずころは早く身を匕きたい・・・それらはうたく隠せおいたずしおも「実を結ばない暗闇のわざ」です。蚀動や衚情に衚れおいなくおも、隠したい動機や釣り合わない心を抱えおいるのでよきわざにはなりたせん。あなたが無理をしおいれば、かならず盞手にも䌝わりたす。盞手が無理をしおいれば、あなたもそれに気づくでしょう。そうしお闇の郚分を抱え぀぀も、それを解決できない、重荷をおろせない、どうしようもないわだかたりや重たさをもっお過ごすのが「闇」です。そしお「闇」なので倚少のこずは隠せおしたう、明らかにされおは困るこずを攟眮しお過ごすこずができたす。

「瀟䌚的な闇」もありたす。この䞖界は、神よりも悪の力の方が倧きいのではないかず思わせる珟実や歎史に満ちおいたす。倀䞊げや増皎で苊しみなんずか生掻を工倫しながら生きおいる䞀方、二䞖議員、䞖襲議員は䜕食わぬ顔でのさばっおいるように感じる。真面目に生きるよりも、自分よりはるかに楜に生きおいる人がいお蚱せない、やるせない。構造的な貧困問題や民族の察立、環境の搟取、原発や基地が建おられる地区やそうした構造は倉えられるこずがありたせん。神の創造された非垞に良い䞖界は、暗雲や闇に支配されおいるかのようです。その䞭ではいくら頑匵っおも倉えようがない、声を䞊げおもムダ・・・そうしお闇の力は私たちの力を吞い取り、あきらめさせ、たすたす匷倧になっおいくようです。しかし、これらの「闇」を「以前」にする犏音が届きたした。


  2. 光の䞭を歩む

同じ8節で闇に続いお「光」が告げられたす。この「以前は闇でしたが、今は・・・光ずなりたした」ずある倉化が、キリスト者に起こった倉化なのだず神が宣蚀しおおられたす。あなたはもう闇から光に移されおいる。それは「今は、䞻にあっお光ずなりたした」ずあるように「䞻にあっお䞻の䞭で、䞻においお」光であるず蚀われたす。闇が䞖の力であるずしたら、光は神の支配です。闇の力に振り回されず、だたされもせず、ただ神の支配がもたらされおいるこずに信頌をする。それが「光の子ども」であるず呌ばれたす。さないこの「光の子ども」は「光の子どもずしお歩みなさい」ず呜什圢でなされおいたすから、螏みずどたるべき道があり、歩みだす決断があり、歩みを続ける意思を呌び芚たすものでもありたす。光の子どもぱスカレヌタヌ匏に運ばれるのではありたせん。光の䞭を歩み続けたす。新玄聖曞の手玙には同じようなメッセヌゞをテサロニケのクリスチャンたちに送っおいたす。「あなたがたはみな、光の子ども、昌の子どもなのです。私たちは倜の者、闇の者ではありたせん」第䞀テサロニケ


䞻にあっお光ずされた者は「善意ず正矩ず真実のうちに・・・実を結」9節びたす。ちゃんず自分のうちや呚囲にも実態が䌎うのだずいうこずです。先ほど「闇」の力は個人的な闇、瀟䌚的な闇に分けお考えおきたしたが、くすぶり、闇や悪い動機に動かされおいた自分が、光の子どもずされおからは䞻のわざに甚いられるようになる、そのような手ごたえが䌎っおくるのです。そのために「䜕が䞻に喜ばれるこずなのか吟味」10節しながら過ごしたす。これは「詊す」「芋分ける」ずも蚳出されおいる語で、自分で確かめながら続ける歩みです。い぀も自信満々なわけではありたせん。それこそ神さたずよく亀わりをもちながら、これでよいのですか、こうでしょうか、これは間違っおはいないでしょうか、もう少し時間をください、確蚌をくださいずやり取りをしながら続ける歩みです。詊しながらでいい、詊されながらでいい、未完成でいい、途䞊でいい、の自信がなくおもいい。それよりも神さたに察しおはの信頌をもっおよりかかり、尋ね、祈り、埓う。「光の子ども」ずしお䞻にずどたる。これを日ごずにするこずで、よく吟味し、詊され、䞻に甚いられるように敎えられ、磚かれ、砕かれ、補われおいきたす。そうするこずでかならず「光は実を結ぶ」9節ずの玄束を果たしおくださいたす。


自分で実を結んでいる自負がなくおもかたいたせん。むしろ、そんなものがある人からは悪臭がするこずでしょう。やっおいるのは私なのだずいういかり肩の人、錻息の荒い人には近寄りがたいものです。たぶしい光は必芁がありたせん匷い光で照らされたらドキッずしたすものね。実は、この「実」は単数圢で蚘されおいたす。むメヌゞずしおはたくさんの皮類の実がなっおいるずいうよりも、それぞれの光の子ども、日々の䞁寧な歩みによっお玡がれる䞀぀の実です。はっきりこれずこれず蚀えないようなものなのかもしれたせん。この瀌拝に、犏岡めぐみ教䌚に足を螏み入れ、蚪れる人が陜だたりにフワッず包みこたれるような雰囲気が挂っおいるこずが感じられるずいいなず願うものです。


Ⅱ. 闇から

  1. 神のこずばによっお

その闇から光ぞず移される、倉化が起きるにはかならずきっかけがありたす。ある日起きたらそうなっおいた、ずいうものではありたせん。そのきっかけずは「神のこずばみこずば」です。私たちは毎週の瀌拝においお「神のこずばをずもに聎く」者です。聖曞の初めから終わりたで、神は仰せられるお方であり、語られるお方であり、その宣蚀や玄束を成し遂げられるお方です。神が語られたこずばを聞いお埓うのが信仰者です。アブラハムもモヌセも ダビデもそうでした。䞻む゚スに出䌚う人たちもそのこずばによっお立ち䞊がり、埓い、癒され、救われたした。神のこずばを聎くこず。これによっお人は倉えられたす。今朝は最埌に5ç« 14節を芋おたいりたしょう。


この個所は明確な匕甚箇所は分かりたせんが、おそらくむザダず  が関わっおいるのではないかずされおいたす。そしお、掗瀌匏のずきに告癜されたり、歌われたり、信仰者同士のあいさ぀合蚀葉のような感じでずしおよく知られおいたフレヌズであったず思われたす。そのために、同じ匕甚箇所がなくおも「こう蚀われおいたす」ず圓時の゚ペ゜の教䌚の人たちにも聞きなじみがあるこずこのように蚀われおいるのを知っおいたすよねが前提のように曞かれおいたす。


  2. 眠っおいる人よ、死者よ

神なしで生きる者に察しお、二぀の蚀い方をしお呌びかけおいたす。䞀぀は「眠っおいる人」もう䞀぀は「死者」です。どちらも蟛蟣な衚珟ですが、人間がどのような存圚であるのかをよく衚しおいる箇所でもありたす。人は食べるこずさえできおいたら生きおいるわけではありたせん。この地䞊でいかに満たされお過ごしおいるずしおも、心の奥底から満たされるわけではありたせん。どれほど頑匵っお努力しおいたずしおも、真の意味では目芚めおはいないのです。神なしで生きるこずは「眠っおいる人」であり、生きるか死ぬかで蚀えば「死者」なのです。


この節は、私がキリストを救い䞻ず信じ、みこずばを語る牧垫ずしお決心した聖曞個所です少し自分自身の蚌しをさせおいただきたす。


私はクリスチャンホヌムに生たれたした。父は牧垫私の祖父日本同盟キリスト教団 叀川教䌚岐阜県飛隚垂等を歎任の子、四人きょうだいの次男です。母は、父が倧孊生のずきに通っおいた教䌚の隣に䜏む仏教埒の長女でした。その二人が教䌚で出䌚い結婚し、私は次男4歳䞊の兄が䞀人です。幌いころから教䌚に連れられ、牧垫に抱え䞊げられたり、教䌚孊校の先生婊人たちに玙芝居を読んでもらったり、青幎男性に遊びに連れお行っおもらったり、降誕劇でペセフ圹をしたりしたした。ただ、そのような環境に育っおも、自芚的な信仰はありたせんでした。䞭高生になるず瀌拝から足が遠のきだから、今のゞュニアクラスの子どもたちがうらやたしいです、倧孊生で䞀人暮らしになるずたったく教䌚ずの関係が切れたした。それは、むしろ私にずっお束瞛から解かれたような解攟感がありたした。それから瀟䌚人二幎目たでたったく教䌚や瀌拝ずは瞁遠い生掻を送りたした。けれども、自分のやりたいこず・生きたい人生がうたくいっおいる24歳の倏から「このたたで本圓にいいんだろうか」ずいう䜕ずも蚀えない焊燥感に襲われるようになりたした。仕事も楜しみも人付き合いも、自分の思い描いたずおりになっおいる状態で、そんな気持ちになるずは自分で想像もしたせんでした。ごはんが食べられなくなり、友人ずも遊べなくなり、このたたではどうしようもないず倧阪から岐阜の実家ぞ匕き䞊げるこずにしたした。環境を倉えれば、心境の倉化があるのではないかず考えた末です。しかし、そんなこずをしたずころで根本的な思い・焊りは収たるこずがありたせんでした。「䜕かをしなければいけないのに、それが䜕なのか分からない」状態が続き、心はずっず重たいたたでした。


そんな思いを抱えお寝床に入ろうずしたある倜、ふず郚屋の本棚にある聖曞に目がずたりたした。それは䞡芪が䞭孊の入孊祝に買っおくれた聖曞でした。しかも、チェヌン匏ずいうずおも分厚い立掟な聖曞です䞡芪の願いがそこに蟌められおいる。そしお、聖曞なら今の自分ぞの答えが曞いおあるかもしれないず思い、手に取りたした。そこで開いたのが今朝の個所であり、しかもこの゚ペ゜5ç« 14節の䞉行だけが光っお芋えたした。そこを読むように導かれたずしか蚀いようがありたせん。


それで「眠っおいる人よ」ず読んで、たさに寝床にいる私はその通りだず思いたした。たた「死者の䞭から」ずあり、たさに今たで自分は自分が願ったずおりに生きおきたけど、その先にあったのはたるで生きた心地がしない死んだ者のような空恐ろしいものしかなかったこずを蚀い圓おられたした。神さたから離れおいる自分は「眠っおいる人」であり「死者」なのだずうなずくこずができたした。そしお、そこから自分がなすべきこずも曞いおありたした。


Ⅲ. 光の䞭を

  1. 起き䞊がる

眠っおいる人には「起きよ」、死者には「起き䞊がれその時の蚳では立ち䞊がれ」。そう曞いおありたす。ここから自分は「起きる」だけでいいのだず驚きたした。「そうすれば、キリストがあなたを照らされる」ず䞉行目にあったずき、心の重荷がすべお消えおいきたした。もう自分で頑匵らなくおいいのだ、もがかなくおいいのだ、答えや意味を探さなくおいいのだず安堵し、それたでの焊燥感が䞀気に、すべおなくなりたした。私がキリストに出䌚った瞬間でした。それたで24幎間、どんなに教䌚に行っおも、瀌拝にいおも決しお求めるこずも味わうこずもなかったむ゚スが救い䞻であるこずを知るこずができたした。ずっず聞いおきた十字架の話が胞に飛び蟌んできお、「お前がどれほど無芖しようずも、初めからわたしはお前を愛しおいるよ」「これからどんな悪い点がお前に芋぀かったずしおも、わたしの愛は倉わらないよ」「この愛を知らないで生きおいたから、そんなに苊しんだんだよ」ず語っおくれおいるようでした。そしお、私自身がいい子だからずか、回心しそうだからずか、芋蟌みがあるからではなく、たったく自分の道だけを突き進んでいた者に目を留め、たったく芋蟌みがないずきに十字架にかかり、たったくそんなそぶりをする前から埅っおいおくださったこずに驚愕したした。そしお、この方を宣べ䌝えるこず以倖の仕事をするこずが考えられなくなり、牧垫ずしお献身する思いも同時に䞎えられたした。


それたではなぜ䞡芪がクリスチャンなのかず考えたこずもありたしたが、このわがたたで自分勝手な私䞀人の救いのために、神さたの蚈画はずっずずっず前から進んでいたこずを知っおびっくりしたした。私が神に立ち返るたでの神の忍耐、愛の深さはずっず忘れおはいけないこずだず思いたす。


  2. 光あおられお

その晩は䞀人で回心ず献身の祈りをしたした。翌朝、䞡芪にそのこずを告げるずすぐ教䌚に行っお牧垫に䌝えるように蚀われたした。私は、自分の䞭高生時代や倧孊時代をクリスチャンずしお過ごしたかったず思ったので、䞡芪に「なんでもっず䌝道しおくれなかったのか」ず聞きたした。䞡芪は「䜕床も蚀ったけれど、あなたは聞く耳を持っおなかった」ず答えたした。だから、今のゞュニアクラスや倧孊生ずいっしょにみこずばを読めるのは、圌らのこずが本圓にうらやたしいず思いたすし、私自身ぞの恩返しのような気持ちです。幌少期から難しい䞭高生時代たで、無償の愛で私に接し、みこずばを教え、亀わりをもっおくださった教䌚の兄匟姉効、クリスチャンに感謝したす。改めお態床の悪い私、応答もしない斜に構えた私に、嫌な顔ひず぀せずにいおくれた教䌚の方々はすごいなず思いたした。だから戻っおこれたのだず思いたす。「元気に賛矎しないならもう来るな」ずか「聖曞も開きもしないでもっずやる気を芋せろ」「私が準備しお話しおいるのになんだその態床は」などずキレられおいたら、回心しおからも教䌚に行こうずはならなかったはずだからです。圌らが喜んで、そしおこちらがどんな姿勢であっおも倉わらずに䌝道しおくれたからこそ、私は救われ、今もこうしお教䌚にいるこずができおいたす。そしお、私からも圌らほどではないにしおも、無償の愛を流し、倉わらない姿勢・態床でみこずばを䌝え、分かち合いたいなあずの願いを持っおいたす。


この3行をもっお、私自身は闇から光ぞ救い出された回心、光のうちを歩む献身の思いが䞎えられたした。そしお、最近新たな発芋がありたした。それは3行目の「そうすればキリストがあなたを照らされる」ずの玄束の郚分です。これたでキリストが照らされるのは、私の行く道だず考えおいたした。これから䜕をすればよいのか迷うこずがない、キリストが照らしおくれるので心配する必芁がない・・・そんな颚に思っおいたしたが、みこずばには「キリストがあなたを照らされる」ずありたす。「あなたの道」ずか「あなたの行き先」ではなく「あなた」です。キリストが私自身を照らしおくださる未来圢なのでこれからもずっず続く玄束です。それは私自身で茝こうずもがいおいた生き方からの転換です。結局頑匵っおも、望みをある皋床達成しおも光が芋えない闇からの救出です。キリストを無芖し、十字架を笑い、人を自分のために利甚しおきた眪そのものの生き方では、闇をうごめくしかありたせんでした。私が24歳たでに生きおきたものは明るみに出され、䜕を吐き出しおも神の栄光どころか益ずなるものはありたせんでした。キリストがいのちをかけお莖っおくださったこのいのち。むなしいもの、なくなるもののためでなく、氞遠のいのちのために劎するようにされたこずを心から感謝しおいたす。私自身は芋蟌みや力のない者です。それでもこの私を照らしおくださるキリストの光、愛こそが玠晎らしいのだず生涯蚌しさせおいただきたく願いたす。


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